ハイコーフェス9

【僕が大好きな斉藤キャメルについて】

【僕が大好きな齋藤キャメルについて】

 

 

ハイコーフェスまで残り10日を切りましたで。

日に日に腫れ上がっていく「想い」と共に、

ボロボロの人にもワクワクの人にも、

当たり前の様に最後のハイコーフェスはやって来ますね。

ある意味残酷だけど、これが最も平等なのかも知れませんね。

 

皆さんの日頃の行いが相当に良いのでしょうね、

最新の10日間天気予報によれば当日は「晴れ一時雨予報」で、

最高気温15℃、最低気温11℃と、

残念ながら少し肌寒い感じのお天気予想となりました。

とは言え、まだまだこの時期の天気は当てになりませんし、

「女心と秋の空」って言葉の通りで、

まだまだこの1週間で予報はどんどん更新されていくはずですので、

当日の「晴天」を祈りましょうね!

 

ちなみに何度もくどい様ですが、

「この夏、最後の夏の1日」が「ハイコーフェス」ですが、

厚手のパーカーやアウターを1つを準備して頂かないと、

朝晩は正直かなり寒いです。

ですので、荷物になるかもしれませんが、

寒くて帰りたくなったり、体調を崩すと元も子もありませんので、

「アウター、座布団は忘れずに!」、

これがハイコーフェスを最後まで楽しむための合言葉です。

 

 

さてさてこちらも気になる前売りチケットの方ですが、

今日で一先ず大台の「203人」です。

 

正直言うと、大森靖子さんがいないハイコーフェスですからね、

どんなに頑張ったって来場者数が減ってしまうだろうと想っていましたが、

やれば出来る!じゃないですけどね、

去年の10日前の予約者数と比べても15人少ないだけで喰らい付いています。

去年が最終的に「240人」でしたからね、

ここまで来ると「203人」でもほとんど差がない気もしますが、

最後だからこそ成し遂げるまで終われないので、

どうせなら成し遂げてから終わらせて欲しいんです。

「もう少し」とか「あと少し」とか、

「惜しい」とか「頑張った」とかやめましょう!

なんとしてもハイコーフェスに「奇跡」を起こして、

それでようやく笑って終わりにしてやりましょうね!

 

まだ始まっても終わってもないけど、

今年が本当の「ハイコーフェス」な気がしてるので、

「最後のハイコーフェス」を見ないと絶対に後悔しますので、

どうか「ハイコーフェスの奇跡の欠片」になりに来てくださいね。

大丈夫、まだまだ絶賛前売りチケット販売中です!

 

 

そんな訳でいよいよ佳境の出演者紹介は11組目です!

ハイコーフェスを愛する全ての君に!

愛と感謝と祝福を込めて!

すべてが報われる日になりますように!

「THIS IS ハイコーフェス」、

「斎藤キャメルさん」の紹介です!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生産性を。もっとやるべきことを。
いつもそんなことを考えてなんかいないけど、
いつもどこかにあるその大原則が、幸福を明日に持ち越させていた。

引越しで昔のアルバムに見入る。
なんて素晴らしい時を生きていたんだろう。
なんて幸せ者。
もっとそれを感じておけばよかった。
感じていたかった。

迫り来る選択肢
正しい選択の繰り返しが
少しずつ幸せを手繰り寄せる。
それは当たり前のことだし、
この手にそんな実感もないわけではない。

でも僕の人生で起きていることは
もっとずっと昔に起きた、
決断した?
魂が望んだ?
定かではないけど、
たまたまあるひとつの大きな流れに足を滑らせ、飲まれ、

その流れによって全てがもたらされているようにも感じる。
僕の日々の小さな選択など
本当はどちらでも良かったように感じる。

写真を見ていると。
本当にそんな風におもう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ハイコーフェスは9年間も続いてしまいました。

ボクは2月で38歳になる予定なので、

ざっくりと30代は「ハイコーフェスと共に過ごして来た」ようなものでした。

もちろんその間も「生活」は並行して続いています。

「君と僕の喫茶店」は予想外に盛況が続き、

自分たちが想い描いていた以上の世界も見れました。

まだ幼稚園児だったさんちゃんも気がつくと中学生になっていて、

なんと「しあわせな時」だったんだろうと思います。

 

とは言え、目の前の事にとにかく必死すぎて、

「しあわせ」を感じられる隙間もなかった気がします。

どこまで行っても「穏やかさ」とは無縁の生活が続き、

いつも心の奥の方がイライラしていた気もします。

 

生きてる限り誰だって、みんな何かに追われていて、

楽しそうに見えるあの人も、のんびりしてそうなあの人も、

きっと知らないところで全速力で走ってて、

穏やかな生活なんてある訳がないんです。

ある訳ないんだけど、ある訳ないんだけどさ…….。

 

我が家はとても仲が良くてみんなに羨ましがられます。

とにかくいつも3人でいるし、とにかくいつも楽しそうです。

毎日一緒に食卓を囲んだり、未だに布団の上で一緒に寝っ転がったり、

それなりに、それなりに、しあわせを守り続けているつもりです。

つもりなんだけど、つもりなんだけどね……。

 

時々、何かを取り戻したくて、

ついつい「あの頃」を想い出してしまいます。

時々、失くし物も探すみたいに、

ついつい、「あの頃」を想い出してしまいます。

どこかに置き忘れてきてしまった、

ハイコーフェスなんてなかった頃の「あの頃の君と僕」をです。

 

「最後のハイコーフェス」まで「残り10日」だと言うのに、

「最後のハイコーフェス」まで「たった2回」しか休みがないのに、

貴重な定休日に何のつもりか、二人並んで1時間だけ昼寝をしてみました。

「たった1時間」なのかも知れませんが、

「君とボク」には「たった1時間」が「ずっとなかった」気がしました。

 

「ボク」が「ハイコーフェスを終わりにしたい」と思ったのは、

「僕」が「ハイコーフェスを終わりにしよう」と決めたからです。

「ボク」がいる限り、「たった1時間」すら「尊い物」になってしまうから、

「僕」が「ボク」を殺しました。

 

「君」は「それ」を憂いている様に見えました。

「よくないことになるのではないか」と心を痛めている様にも見えました。

でも「これ」が「僕」の「やりたかった事」です。

「ボク」が「ひきかえ」にしてきたつもりの「しあわせ」はとっくに底をついていて、

「君」の「しあわせ」にまで手を付けていたからです。

 

「ボク」も頑張ってたんだよ。

そりゃあもう間違いだらけだったけど。

でも頑張ってた。頑張った。

でも、だからこそ、です。

楽にしてあげたかったんです。

「君の事」も「僕の事」も。

 

「美しい人よ、何を憂いているのかい?」

「君はしあわせになるよ。」

 

 

と言う事で、去年に引き続きで、

「この人だけ」はこんな風に紹介したいんです。

まさに「これぞ!ハイコーフェスの進藤くん!」って感じの、

陰鬱でロマンティックな「素晴らしい想い出」からのスタートですね。

「ハイコーフェスの出演者紹介は紹介じゃなくポエムですよね」なんて、

「可哀想な人たち」からバカにされた事が何度もあったけど、

「ポエム」じゃなくて「想い出」だから許して下さいね、

「想い出」どころか「愛」なんで、そこんとこよろしくお願いします。

 

流石にもう8回目ですからね、

紹介し尽くしてしまった感もありますが、

「この人」を紹介する時だけは、

決まって「感傷的」で「ロマンティク」でいたいんです。

それが「あの人」が愛してくれた「ハイコーフェスの進藤ちゃん」ですからね。

なので今日は「うんざり」するほど「感傷的」で「ロマンティク」になりますので、

どうか「覚悟」して読んで下さいね。

出演者紹介だけど出演者紹介なんか1つもしませんからね!

 

これが「僕が大好きな斎藤キャメルさんについて」です

「君が大好きな斎藤キャメルさんについて」です。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

進藤ちゃん

 

素敵な心境だね。

これまでのハイコーフェス、これからのハイコーフェス。

すっと時間が過ぎた時、進藤ちゃんの本当に大きな、温かい支えになるはずだよ。

梢ちゃんと死ぬまで幸せでいてよ。

応援してます。

 

斎藤キャメル

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これが「今年で最後のハイコーフェスにする事」を、

斎藤キャメルさんに伝えた時に、ボクと君に宛ててくれた言葉です。

 

斉藤キャメルさんは「ハイコーフェス」でした。

「君とボクのハイコーフェス」そのものでした。

「2回目のハイコーフェス」からなので長い付き合いです。

「WATER WATER CAMEL(現在活動休止中)」として出演してくれて、

あれから今年で8回目の出演ですね、

いつもハイコーフェスを笑顔で見守ってくれていて、

おかげでハイコーフェスは「本当に大切なもの」だけは失わずに、

ようやくここで「終わり」を迎える事が出来ました。

 

「ボクが1番大事なのは家族だよ」、

ハイコーフェス7の打ち上げの時に齊藤キャメルさんが口にしてくれた言葉です。

「ハイコーフェスを続ける事」って、

どんな形であれ「家族に迷惑を掛ける事」です。

「家族だからこそ迷惑を掛けても良いんじゃない?」、

「家族だからこそ支え合うんじゃない?」、

「進藤くんたちは凄い事をしているんだよ!」、

「二人にはそれが出来るよ!」、

「二人にはそれが出来る!」、

ハイコーフェスを続ける事がどんなに大変か分かってくれていても、

ハイコーフェスを続ける事がどんなに無理をしてる事なのか伝わっていても、

ハイコーフェスがあまりにも素晴らしすぎるから、

誰だってハイコーフェスを続けた方が面白いから、

「みんな」はハイコーフェスを終わりにさせたくないから、

「君」と「ボク」に「ハイコーフェスの素晴らしさ」を「納得してもらおう」と、

たくさんの人がたくさんの言葉で「君」と「ボク」を励ましてくれました。

それは本当に暖かい言葉だったし、認めてもらってる証拠だったし、ありがたいものでした。

「でした」けど……。

 

ボクはどうしてか上手く笑う事が出来なくて、

どう答えたら良いのか分からなくて、

こーちゃんと顔を見合わせて作り笑いをして、

「春になんなきゃ分からない」って、

場を濁すみたいに答えるだけで精一杯でした。

あの時、隣に座っていた齊藤キャメルさんが言ってくれたのが「その言葉」で、

「ボクが1番大事なのは家族だよ」、

ボクには「その言葉」が何よりの「救い」で、

誰になんて思われても関係なしに、

そんなロマンティックな事を言い切れる様になれたら、

もう少し楽に生きれるのかもって、そんな風に思いました。

「もう二度と悲劇は起こさない様にしよう。」、

ボクはあの時、確かにそう誓ったはずでした。

 

にも関わらず、あれから「2回」もハイコーフェスは続きました。

「泣きのもう1回」で済めばまだ「救い」があったのかも知れませんが、

懲りずに今年もボクは「最後の最後の悪あがき」で「ハイコーフェス」を開催する事にして、

でも「2回」も続いてしまったけど、

いつも「あの言葉だけ」は忘れずにいたつもりで、

「ボクも家族が1番大事」だからこそ、

これでハイコーフェスを終わりにする決心がついた気がします。

 

 

ところで「ここ」に気付いてた人がいたか分かりませんが、

「最後のハイコーフェス」だと言うのに、

今年のハイコーフェス予告編に「君」の姿がありませんでしたよね。

「なんで最後なのに、こーちゃんがいないんだ?」って、

「体調でも悪かったのかな?」って、

「進藤くんの1番大切な人がいないじゃないか!」って、

ちょっと不思議に想った人もいたかも知れません。

こんな風にわざわざ書いてしまう事でかえって、

「こーちゃんが理由でハイコーフェスを辞めるの?」みたいに見えるかも知れませんが、

それは全く逆で、「君」は「続けて」と言ってくれたけど、「僕」が終わる事にしたんです。

 

どうせならこのまま最後まで、

真相は「闇の中」でハイコーフェスを終わっても良かったんだろうけど、

どうせなら斎藤キャメルさんにだけはちゃんと知ってて欲しかったから、

ここに少しだけ「理由」を書きますね。

どんな風に書いても「言い訳」みたいに見えちゃうかもだけど、

どんな風に書いても「誰にも分かるはずがない」けど、

誰にも分かって欲しくない、

誰にも分かるはずのない、

誰にも分かってたまるか、って複雑な感情がこんがらがったままで、

「たかがハイコーフェスの予告動画撮影」にすら行けないくらいに、

「君」は「君でいる事」に「疲れて」しまっていて、

「ハイコーフェスのこーちゃん」がもう一度蘇る事はなかったんです。

もうこれ以上、「茶番」に付き合い切れなかったんでしょう。

 

全然「怒ってる」とかじゃないんです。

全然「シラケた」とかそんなんじゃないんです。

ただ本当に疲れてしまっていて、

「心が踊らない」と泣いていました。

どうせハイコーフェスなんて「茶番劇」を繰り返しているだけですからね。

でも「君」が「茶番劇」を降りるなら、

「君」が「悪者」になるつもりでいるなら、

「君のせい」でも「君のため」でもなく、

「僕」がハイコーフェスを終わりにしようと思ったんです。

 

本当は僕も知っていたけど、

「君」も「ボク」も、もうとっくに死んでいて、

ハイコーフェス7が終わった時に、あそこで確かに死んだんです。

今日までは如何にも「まだ死んでない風」に書いてましたが、

「ハイコーフェスの進藤くん」も、

「ハイコーフェスの梢ちゃん」も、

本当はずっと前に死んでいて、

「みんなが大好きなあの二人の代わり」になって、

「僕」と「君」が「茶番劇」を続けていた気がします。

「君」は「ハイコーフェスの進藤くんを支えるやさしいこーちゃん」にほとほと疲れて果ててしまって、

一足先に「ありがとうとごめんなさいの丘」に立ったのでしょうね。

あの時の「君」は泣きながら、「少しだけ待ってる」と言っていた気がします。

 

「僕」も「君」もハイコーフェスが大好きでした。

でも、それと同じくらいにハイコーフェスが大嫌いでした。

もう何年も1年の半分以上は何らかの形で、

ずっとハイコーフェスを想って、

ずっとハイコーフェスの準備をしていた訳で、

いつからかハイコーフェスが終わってからの数ヶ月は、

出演者の歌さえも心が拒絶するようになっていて、

どの曲を聴いても全てに「意味」がありすぎて、

「僕」も「君」も心が押し潰されそうで、

わざわざ「意味のない曲」を聴いたり、

わざわざ「歌詞すらない曲」を聴いたり、

去年のハイコーフェスが終わって、

それから「君」は「僕の好きな音楽」を全く聴かなくなりました。

自分から進んで「あたらしい音楽」を聴いていたけれど、

「それ」は「君が好きな僕の好きな音楽」ではなくて、

「君が好きな君の音楽」に変わっていました。

 

そんな変化の中でも、

唯一、君が聴いていた「僕の好きな音楽」が、

斎藤キャメルさんが歌う「花がよくにあう」でした。

いつからだったのかハッキリ覚えてはいないけど、

いつからか、何かのタイミングで、

君の毎朝の目覚まし時計のアラームが「花がよくにあう」に変わっていて、

それまではずっとブルーハーツの「too mach pain」だったんだけど、

きっと君は「何か」に気づいて欲しかったんだと思います。

 

「too much pain」って直訳すると「痛すぎる」って意味で、

多分ブルーハーツ的には「とても耐えられない」って意味だと思います。

ちょっとだけ歌詞を抜粋すると、

「はみだし者達の遠い夏の伝説が廃車置場で錆びついてらあ」から始まり、

「それぞれの痛みを抱いたまま僕等必死でわかりあおうとしてた歯軋りをしながら」と続き、

「つめこまれてきたね 意味のないガラクタだけ情熱を感傷に置きかえ」と来て、

「思い出によりかかるあなたを見たくはないよ、打ちのめされた横顔を」と続き、

「忘れないあなたの白い肩、触れたらもう崩れそうな」と来て、

「あなたの唇動く スローモーションで、僕は耳をふさいでる」と続き、

「もう一度 まだまにあうはずさ、まだ今なら遅くない」きて、

「もう二度と戻る事はないよ、僕はまた一歩踏み出そうとしてる、少しこわいけれど」と続き、

「あなたの言葉は遠く もう聞きとれない」と来て、

「何かがはじけ飛び散った TOO MUCH PAIN」で終わります。

きっと価値観の違う恋人同士が「歯軋り」をしてまで分かりあおうとして、

でも最後には「何か」がはじけ飛び散った、そんな悲しい「終わりの歌」です。

もちろんはじけ飛んだのは「愛」ですよね、だからこその「とても耐えられない」で、

「君」はやさしいから、

人知れず僕にずっと合図を送っていたのかも知れませんね。

決して口にはできない「とても耐えきれない」って言葉を、

ブルーハーツの歌詞に重ねていたんだと思います。

それでも僕は好い気なもので、目覚ましを止めて「もう10分」と眠り続けていた気がします。

そしていつからか「too much pain」が「花がよくにあう」に変わっていたのです。

きっと「何か」がはじけ飛び散ったのでしょう。

 

ちなみに「花がよくにあう」と言う曲は、

「花がよくにあう君は幸せになるよ」って事を歌っていて、

せっかくだから歌詞を載せておきますねので読んでみてください、

こんなに美しい歌詞の曲なんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

きみは花がよくにあう人だ 

こんなににあう人もめずらしい

 

夏の雨の気配のするにおいとか

よく乾いた木のにおいとか

 

うつくしい人よ

なにを憂いているのかい 

きみは幸せになるよ 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「愛は日常にありふれているけれど、

ふとした時にあらためて愛を感じると、

すごく勇気づけられたりする。

花も、道ばたに咲いていたりするけれど、

ふとその美しさにあらためて気づけると、

豊かな気持ちになったりする。

WATER WATER CAMELは『花がよくにあう』で、

「何を憂いているのかい、君は幸せになるよ」と歌う。

美しい花。花がよくにあう君。幸せになるよという言葉、歌。

そう、憂うことはない。」

 

「誰かが書いてた花がよくにあうの解説」に、

こんな素敵な言葉が並んでいて、

「花がよくにあう君は幸せになるよ」、

僕も「そうあるべきだ」だと想いました。

 

この春も「君」は、たくさんの花を店先の小さな花壇に植えていました。

たくさんの「花」が、季節ごとに、たくさんの「色」で。

9年間、僕が「ロック」を育てていた間も、君はずっと「花」を育てていました。

でも、僕には君が育てた花をゆっくり眺める余裕もありませんでした。

時々は水をあげたりしたけど、時々でした。

僕が育てたロックはあんなにも君に愛してもらったのに、

僕には君が育てた花を愛する心の隙間すら残っていなかった気がします。

僕の生活には「ロック」はあるものの、

僕の生活には「色」がありませんでした。

もし「あった」としても、それは「漆黒の黒」で、

危うくこの先、誰かも愛されずに生きていく事になるところでした。

 

「僕のロック」って一体なんだったのでしょうか?

「僕のロック」は「本当に僕をしあわせ」にしてくれるのでしょうか?

追えば追うほど逃げていくのが「ロック」で、

近づけば近づくほど遠くなってしまうのが「ロック」で、

「僕」は「ロック」は死ぬまで追い求めるのかも知れないけど、

「君が僕のロックだったんだ!」と気づいた瞬間に、

このままでは僕は死ぬまでロックになれないと気が付いたんです。

「大切な人」の「大切なもの」を「大切に想える事」、

そんな「愛」と「やさしさ」がない限り、僕は決して「ロック」にはなれない。

そんな「理由」もあって、ボクはハイコーフェスを終わりにする事に決めた気がします。

「それ」が僕の探し続けてた「本当のロック」で、

僕が探し求めていた「ロックの源」が「斉藤キャメルさん」で、

僕は「斉藤キャメルさん」になりたかったんです。

 

「ハイコーフェスは世界で一番面白い」、

そんなの他の誰より「僕と君」が知っている事だけど、

「僕の愛は素晴らしい」、

そんなの「君」が一番知っている事だけど、

だからこそ斎藤キャメルさんは、

いつも「君の事」を心配してくれて、

「君の愛の素晴らしさ」をいつも「僕」に伝えてくれていた気がします。

「ボクは梢ちゃんと進藤くんの二人って形が好きです。」って、

いつもそんな言葉で「君と僕」を褒めてくれて、

そんなの「僕」が一番知ってなきゃいけない事なのに、

いつも斎藤キャメルさんは「君の重要性」を僕に教えてくれた気がします。

ちゃんと分かってるつもりでも「僕」は「ボクの愛」が大事だったのかも知れません。

「君」が大事なフリをして、いつもどこかで「自分」が大切だったのかも知れません。

去年、斎藤キャメルさんはライブ中にこんな事を言ってくれました。

「こんなフェス、日本中探してもどこにもありませんよ。」、

「気が遠くなるほど馬鹿でまっすぐで熱くて涼しくて美しくてやっぱり馬鹿なフェス」、

「出演ミュージシャンを世界一愛してくれるフェス」、

「ボクはこのフェスが大好きです」、

僕は斎藤キャメルさんに褒められるのが1番嬉しいから、

「それ」がハイコーフェスの「価値」だと想いました。

でも、それもこれもハイコーフェスに「君と僕」がいるからこそだと思います。

斎藤キャメルさんは「君がいないハイコーフェス」を好きなままでいてくれるのでしょうか?

「君がいないハイコーフェス」は「価値がない」と感じるんじゃないでしょうか?

なので、ハイコーフェスをここで終われて僕は本当に良かったんです。

「君」がまだ「僕」を待っててくれる内に終われて、僕が誰よりホッとしてるんです。

「君のせい」でも、もちろん「みんなのせい」でもなくて、

僕が「僕の意思」だけで、そう想えた事に「価値」がある気がしたんです。

 

 

もちろんね、「それだけ」が理由って訳でもないんですよ。

「みんな」から愛してもらった「一生掛けても返し切れない大きな愛」を、

これ以上僕がただただ受け取る訳にはいかないとか、

この9年間で軽自動車なら新車で買えるくらいのお金を使ってしまったとか、

(なので、せめてもの罪滅ぼしで僕は4万円の軽自動車に乗っています)

ただ単に僕のやる気の問題だとか、

理由は山ほど、本当に数えきれないくらいあるんだけど、

でも「どんな理由」よりも「僕」には「君」が大切だったから、

「ボクのハイコーフェス」は「君とボクのハイコーフェス」で、

僕がどんなに「ボクの!」って叫んでも、

最後にはやっぱり「君とボクのハイコーフェス」で、

結局は「君」がいなくちゃ成りたたないのがハイコーフェスで、

「君」がいなくちゃ全然楽しくなれないんです。

なので、僕がハイコーフェスを辞めたくなったから辞めるんです。

これ以上他に「理由」なんかいらないですよね。

 

僕には「ボクと君とみんなのハイコーフェス」も大事でした。

「みんなの気持ち」も、

「みんなの想い」も、

「みんなの愛」も、

「みんなのロック」も、

「全部大切」でした。

でも「全部大切」だったからこそ、

僕の愛は足りなくなってしまった訳で、

いつのまにか「君の分の愛」がどこか別に向いていたのかもしれないし、

いつのまにか「君の分の愛」が君のところまで届かなくなっていたのかも知れなくて、

いつか斎藤キャメルさんがブログに書いてたけど、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「与えているものしか受け取れない」

そう思う。

家族や恋人でさえそうだし、そうあるべきだろうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まさに「この言葉」のとおりで、

こんな事を自分で言ったらおしまいですが、

ハイコーフェスは「僕の愛」がないと成り立たなくて、

これが絶対で、これが大前提で、

「君の愛」や「みんなの愛」を借りないと成り立たないのは分かっているけど、

でもどんなに「僕以外の愛」がたくさん集まってても、

「僕の気違うほどの愛」がない限り、

それはきっと「ハイコーフェス」にはならなくて、

「ハイコーフェス」とは別物で、

僕がどれだけハイコーフェスを愛せるかが、

結局は「ハイコーフェス」だと想うんです。

でも、それってつまり、「君」を悲しませる事になりますよね。

それってつまり、「君」を愛してない事にもなりかねないですよね。

 なので、「僕」が1番大事なのは「君」だから、

「ボクと君」は終わりにして、

「僕と君」をちゃんと取り戻して、

「愛と平和とおだやかな生活」に憧れて、

両手に持ちきれる分だけ愛して愛されて、

ただ暮らしてみたくなったのかも知れません。

たくさんたくさん愛してもらったハイコーフェスだけど、

これ以上ハイコーフェスに、僕の愛を与え続ける訳にはいかなくて、

「本当の理由」なんか自分でも全然分かってないんだから説明なんて出来っこなくて、

なので、全部後付けで、全部ロマンティックに書いてるだけです。

随分格好つけて「クサイ事」ばかり書いてるから笑いたい人は笑ってください!

でも僕は「君」が好きだから、「君」にもちゃんと「愛」を伝えなきゃなんです!

 

君はもうウンザリしてるかも知れませんが、

ようやくこれで「君」と並んで、

「ありがとうとごめんなさいの丘」に立てる気がしています。

そこからはどんな景色が見えますか?

どんな花が咲いていますか?

海は見えますか?

良い風は吹いていますか?

 

 

せっかく最後の「ボクが大好きな斎藤キャメルさんについて」だったけど、

こんな感じで終わっちゃって大丈夫ですかね?みんな引いてますか?大丈夫かな?

全然伝わってないかも知れないけど、

ここに書いた全てが「斎藤キャメルさんの音楽」で、

あまりに長くて要点が理解出来なかった人のために、

「以下まとめ」を書くとすれば、

僕はロックンロールにはなれなくて、

ロックンロールになるより、

もっともっとやさしくなりたくて、

むしろ斉藤キャメルさんになりたくて、

「斎藤キャメルさんの歌はそんなやさしさに満ちた歌」で、

「本当の愛を失わないための愛に満ちた歌」で、

でもその「愛」と「やさしさ」には、

「少しばかりの諦め」と、

「少しばかりの君のうんざり」が隠れてて、

「報われる」とか「救われる」とか「幸せになれる」とか、

「ただ綺麗事」を並べただけじゃない「説得力」があって、

だからこその「真実」があって、

まさに「君とボクのハイコーフェス」が「すべて詰まった」、

これが「君」と「僕」が探し求めていた「本当のロックです、」って事で、

ハイコーフェス出演者の音楽はどれも「かけがえのない音楽」で、

でも言い方が悪いかもしれないけど、

「音楽」なんかなくても「死ぬ訳」じゃなくて、

でも斎藤キャメルさんの音楽だけは別で、

もしかしたら「僕」は取り返しのつかない事をして、

もしかしたら今頃、首を吊ってどこかで死んでいたかも知れなくて、

「君と僕の愛」が一生続くためにだけに存在してくれている、

そんな「唯一の尊いロックです。」って事かな?

 

「斉藤キャメルさん」にずっとハイコーフェスに出演し続けてもらったのも、

「斉藤キャメルさんの音楽を好きな自分」を忘れてしまうと、

「斉藤キャメルさんの音楽を好きな君」を忘れてしまうと、

「斉藤キャメルさんの音楽を好きなみんな」を忘れてしまうと、

「ハイコーフェス」が「ハイコーフェスじゃなくなる」からで、

「斉藤キャメルさん」が「ハイコーフェス」なんだと想っています。

斉藤キャメルさん、ハイコーフェスを続けてくれてありがとうございます。

僕が最後まで「ハイコーフェスの進藤くん」を演じきれなかったのも、

いつもより少しだけ「君」を傷つけずにできたのも、

「みんな」の事が前より少し好きになれたのも、

全部が全部、いつも心に「齋藤キャメルさん」がいてくれたおかげです。

 

 

9年間、決して「穏やか」ではいられなかったけど、

「穏やか」とは程遠い生活だったけど、

でも1年に1度だけ斎藤キャメルさんに会えるだけで、

こんなにも「穏やか」な気持ちになれるんだから、

こんなにも「君」の事を大切に想えるんだから、

「ハイコーフェス」の「あの場所」がきっと、

「ありがとうとごめんなさいの丘」なのでしょうね。

ハイコーフェスを続けたおかげで「あの丘」にたどり着けた訳だから、

僕も君もみんなもハイコーフェスの事は嫌いになれないですよね。

「ありがとうとごめんなさいの丘」で「僕」は「君」に、

心からの「ありがとうとごめんなさい」を言わないとですね、

「たくさんの君たち」にも「ありがとうとごめんなさい」を言わないとです。

 

 

最初から「後悔」しない事に決めてたから、

「後悔の欠けら」もありませんよ。

むしろ「満足」して「終わり」ます。

今の僕には「穏やかな風」が吹いています、

僕は今、心から素晴らしい気分です。

これが「想像を超える日」って事なのでしょうか?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ようこそ僕らの家へ

心から歓迎します

お茶にしますか珈琲にしますか

 

素晴らしい

なんて素晴らしい

あなたの人生は

さぁどうか話を続けて

 

いつも笑顔を忘れずに

そんなつまらないことからはじまる

僕らの素晴らしい人生は

そんなつまらないことからはじまる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

斎藤キャメルさんが歌ってくれるはずの、

「想像を超える日」を胸に、

「愛と平和と穏やかな生活」が、

「敗北と再生」が、

「僕のロック」であって欲しいと願います。

(事前のリクエストはしてませんが、紹介文を書いてたら妙に聴きたくなって、悪あがきでここでリクエストしておきます)

 

 

最後に、5月のこーちゃんの誕生日にね、

斎藤キャメルさんの新譜CD「「海のまえ、森のなか」をプレゼントしたんだけど、

そのCDボックスの中に「石」が1つ入っていて、

「この石は何の石ですか?」って質問した時に、

斎藤キャメルさんが送り返してくれたメールに僕は「救われた」ので、

ここまで頑張って読んでくれた「君」も「救われて欲しい」ので読んで見てくださいね。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その石はよく行く海岸に転がってた石だよ。

ただの石。

でもその価値は進藤ちゃん、梢ちゃんが決める。自然と決まる。

 

人間も死ねば浜に打ち上げられた石と同じ。

誰かのものになってその価値が決まるように思う。

 

誰かっていうのは恋人だったりビジネスパートナーだったり友人だったりするんだろうけれど、

少なくとも梢ちゃんと一緒に生きている進藤ちゃんの人生には、

彼女にとって素晴らしい価値があるんだろうね。

それはシンドイ時の救いだと思う。

おれみたいな社会的価値の乏しい人間はそのことに何度も救われてきたし、心底感謝しているよ。

 

救いは安らぎを与えてくれる。

安らぎはまた生きる歓びを求めて動き出す糧になる。

 

楽しむことだよ。

そうすれば物事も気持ちも動き出す。流れ出す。

流れれば循環が始まる。

 

塞ぎ込むと流れが止まってシンドイまま動かなくなってしまう。

 

楽しむこと、生きる歓びを感じないなら十分な安らぎが必要な時なんだと思う。

そういう時は思い切りそれに時間もお金も使うべきだよ。

 

可愛くて性格のいい奥さん。

彼女との間にできた子供。

ゴマシオキッチン。

ハイコーフェス。

 

何一つ間違っていない。素晴らしい人生。

 

目一杯楽しまないともったいない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうでしたか、これが「救われる」って事で、

「これ」が「斎藤キャメルさんの音楽」で、

「これ」で「全部」伝わりましたよね。

これが「僕が大好きな斎藤キャメルさんの音楽」で、

これが「君が大好きな斉藤キャメルさんの音楽」です。

 

 

ハイコーフェスの向こう側にあるはずの「安らぎ」を求めて、

最後のパーティーをしよう、みんなをまた集めて。

どうせ「最後のハイコーフェス」なんだから、

「君」も「みんな」も、

「目一杯楽しまないともったいない」ですよ。

「何一つ間違っていない。素晴らしい人生。」

「目一杯楽しまないともったいない。」です。

 

「ハイコーフェスの終わりまで付き合いたい」、

「ハイコーフェスを弔いたい」、

斎藤キャメルさんが口にしてくれた数々の言葉を思い出しながら、

ようやく「ボクの亡骸」が天国に昇ります。

 

ハイコーフェスを愛する全ての君に、

愛と感謝と祝福を込めて、

すべてが報われる日になりますように、

「君」はしあわせになるよ。

 

 

追伸:せっかくなので「花がよくにあう君の花壇」を載せときますね、

この花壇のポイントは「ミッキー」と「ミニー」が「少し離れた場所」にいるところかな?

今日はこんな風に書いちゃったけど、僕と君はとても仲良く暮らしてますのでご心配なく!