ハイコーフェス9
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【ボクが大好きな小棚木もみじについて】

皆さんお盆休みを満喫していますか?楽しいですか?元気ですか?

ボクとこーちゃんはゴマシオのお盆営業に追われてひたすら生活で、

たくさんお客さんが来てくれて嬉しい悲鳴ですが、正直クタクタで少し充電が必要かも?

とは言え、やっぱり夏は待ってはくれないものです!

何となく「夏の終わりの匂い」が町中に漂い始めていますが「ボクらの夏」は終わりませんからね。

ハイコーフェスが終わるまでが「夏」ですから、

「夏」から「秋」に切り替わる瞬間は「ハイコーフェスの終わり」ですから、

「もう少しくらい夏を楽しみたい」って皆さんもどうか最後までハイコーフェスにお付き合い下さいね!

 

 ではここから遅れを取り戻すようにバンバン頑張ります!

出演者紹介4組目は「これがハイコーフェスのジャニス・ジョップリンや!」

うたって!おどって!ねて!ごはん!とにかく明るい!「小棚木もみじ」の登場です!

 

 

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【ボクが大好きな小棚木もみじについて】

 

「もみじさんも呼んでやりてーな!」、

4月の「出演者選考会議」を終えてすぐに出演交渉を始める中、

ボクには1つの「心残り」が芽生えていました。

 

「もみじさん」って言うのは、

「小棚木もみじ」って名前で活動している東京のシンガーソングライターで、

ハイコーファンの皆さんなら、名前までは知らなくても、きっと「顔」は知ってるはずの人で、

「え、オレ毎年ハイコーフェスに行ってるけど顔なんか知らないんだけど?」ってあなたも、

「え、私ハイコーフェス超愛してますけど全然知らないんだけど?」ってあなたも、

去年と一昨年のハイコーフェスをちゃんと思い返して欲しいんです。

 

「もみじさん」は過去2回、

僕のレテパシーズの物販スタッフとしてハイコーフェスを見に来てくれていて、

よく思い出してみたら皆さんもピンっと来るんじゃないでしょうか?

そうです!お人形さんみたいに白い肌で、

いかにも中央線沿いって匂いのする、「あの女の子」です!

 

もみじさんってね、

ハイコーフェスの出演者と同じ様に「音楽」って土俵の上で戦っている訳ですから、

本当はもみじさんも「ハイコーフェスのステージ側」に立ちたいはずなのに、

にも関わらず「ハイコーフェスのステージの下」から、

それも2回もです、

ボクらと同じ位置から同じ様にハイコーフェスを愛してくれて、

もみじさんがハイコーフェスを愛してくれている事の証明に、

もみじさんが初めて参加してくれたハイコーフェス7のラスト、

トリを務めたレテパの最後の曲が終わり、ステージに幕が下りた時に、

誰よりも早くもみじさんが大声で叫んでくれたんです。

「終わんじゃねーよ!!!もっとやれよ!!!」

あまりの大声にびっくりしてパッと隣を見ると目を真っ赤にしてグシャグシャに泣き叫んでいる、

ボクにそんな顔を見られて恥ずかしそうに笑うもみじさんがそこにいて、

ボクはあの時のもみじさんが「ジャニス・ジョップリン」に見えたんです。

 

普通はね、きっとイヤだと思うんです、いくら身内のライブとは言えね。

さっきも書いた様に「同じ音楽の土俵」で戦っている訳ですからね、

仲間だけどライバルでもありますもんね。

ハイコーフェスなんて確かに「クソ田舎のただのローカルフェス」なのかも知れないけど、

それでもあんなに愛が溢れかえっちゃってるステージって凄いじゃないですか、

「たかが音楽の力」を信じる、まさに「愛」しかない会場のお客さんたちの前で、

自分の目の前で「自分以外の音楽」がめちゃめちゃ愛されている事実を見てしまったら、

普通は悔しいんじゃないのかなーって、ガッカリしちゃうんじゃないのかーって、

ボクがもみじさんの立場なら、やっぱり負けた気になってしまって悔しいと思うんです。

なのに、そんなの全部おかまいなしで、もみじさんはあんなに一生懸命に叫んでくれたんです。

「あー、この人、ハイコーフェスを愛しちゃったなー」って、ボクはそれが本当に嬉しくて、

「人からどう思われようと関係ない!」、

「好きだから仕方ない!」、

「この気持ちを言葉にしないと居ても立っても居られない!」、

つまりはそんな気持ちをハイコーフェスでは「愛」とか「ロックンロール」だとか呼んできた訳で、

もみじさんはきっと、初めて見たハイコーフェスが面白過ぎて、

好き過ぎて、愛し過ぎて、本当に終わりにしたくなかったんだと思うんです。

 

もみじさんの愛のおかげで会場の拍手は鳴り止まずで、

あちこちから「アンコール!」の声の飛び交い始め、

アンコールとは言え、時間にしたら「たったの5分」だったのかも知れないけど、

でも確かにあの時「世界で一番面白い時間」は、もみじさんの愛で少しだけ延長されたんです。

 

あれこそまさに「心の声」、「魂の叫び」で、あの時のもみじさんは本当に美しいものでした。

「小棚木もみじさんが歌う姿」が「あの時のもみじさん」と同じだとしたら、

あんなに美しく心の声を魂の叫びで表現出来るのなら「ジャニス・ジョップリン」とおんなじで、

ボクはもみじさんの歌う姿をハイコーフェスのステージで見るべきだなーとそんな風に思ったんです。

 

「だったら最初からもみじさんを呼んでやれよ!!って言われたら反論する言葉もありませんが、

ボクの頭が「バンド!バンド!バンド!」だったんだから、あとの祭りですよ。

出演者が続々と出揃う中、でもボクの頭に中には「あの時のもみじさん」が何度も何度も想い出されて、

どうにかしてもみじさんもハイコーフェスのステージに立たせてあげられないものかと、

ボクは何日もおんなじことをぐるぐる考えてばかりいました。

 

とは言えね、考えている間にどんどん時間は流れてしまいます。

結果的に「最後のハイコーフェス」になってしまう今年のハイコーフェスは、

残念ながら大森靖子さんだけはスケジュールが合わず出演決定とはなりませんでしたが、

それでも「呼びたかった出演者の皆さん」からは軒並み「良い返事」を頂けて、

1ステージしかないハイコーフェスとしては充分過ぎるくらいの10組の出演者は決定しました。

「もうこれで満足しよう。」、いろんな事を考えた末に一度はそう決めたつもりでした。

 

 

去年や一昨年のハイコーフェスを想い出してもらえば分かるように、

ハイコーフェスって音楽フェスとしては異例中の異例で朝は9:30から1組目のライブがスタートしています。

各組出演時間はピッタリ30分づつで、

ステージ毎の転換時間もたった20分しか休憩時間を設ける事ができずで、

とにかく息つく間もなく進行していかなくては、

とてもタイムスケジュールどおりには進んでなんかくれなくて、

ステージで演奏している側も、見ているお客さんも、もちろん運営するボクらも、

バタバタとめまぐるしいスピードで1日が過ぎてしまいます。

全力で走り続けないと置いて行かれると言うか、

せっかくの「奇跡のような1日」なのに常に余韻がない状態が続くと言うか、

ボクだけなのかも知れませんが、「それ」がちょっともったいないと言うか、

まるで「早送りで奇跡を見ている」みたいな感覚で、

「もっと1組1組の音楽と時間を掛けて向き合った方が良いんじゃないだろうか?」、

ボクは詰め込み過ぎてしまったハイコーフェスに少し疑問を抱いてしまっていて、

各出演時間を10分づつ増やしたり、転換時間を10分増やしたり、お昼休みをゆっくり取ったりね、

例え出演者が2〜3組減ったとしても、やり方なんかはいくらでもあるはずで、

そもそも10組も出演者がいてくれる時点で「フェス」としては十分に「成り立ち」ますからね。

もはやこれ以上に「余計な責任」なんか背負わなくても良いんです。

 

にも関わらず、ハイコーフェスって「いつもは」、

それ以上を求めちゃうと言うか、「気持ち」も「想い」も「出演者の数」も、

隙間があるならそこに無理やりでも「詰め込む」のが「良いところ」で、

大抵はここから「もう1組!もう1組!」って出演者を増やしてしまってて、

「好きだから諦めきれない!」みたいな「愛の極み」みたいなところがいつもあって、

でも、出演者が1組増えるって事は、その分出て行くお金を削られる時間も増えるという事で、

お客さんもその分多く呼ばなくてはいけない訳ですよね。

ただでさえお客さん集めに苦労しているくせに、

「何でそんなに出演者増やしちゃうんだろう?」って自分ではバカだなーって笑ってしまいます。

 

 

普通の主催者ならその辺のバランスを見極めるのも裁量の1つなのでしょうね。

でも「ハイコーフェスの進藤くん」ってバカで有名ですからね、

最初はそのつもりでも「バランス」なんて途中から分からなくなってくるんです。

「ただ好きだから!見たいから!愛してるから!」って偏った愛情を盾に、

最終的に赤字を共に被ることになる近江さんや澁谷くんや飴子ちゃんや除雪さんに迷惑を掛けながら、

それでもバカだから勝手に「それ」を「正義」だと「愛」だと信じて来た訳で、

「あの人がいないとハイコーフェスじゃないみたいだ!」って、

「あの人も残したい!ここで裏切ったら愛なんて最初からウソだったんだ!」って、

「あの人が見たいんだ!これはボクのハイコーフェスだ!」って、

そんな風にツッパって出演者の数を1度も減らす事なく積み重ねてきた事は、

そのせいで毎年赤字になってしまうはみんなに申し訳ない気持ちしかなかったけど、

でもボクは「みんな」も「それ」を喜んでいる気がして、

そんなやり方を信じてずっと続けてしまいました。

それが「愛」だと信じていたんです。

「今のハイコーフェス」の「この増えすぎた出演者枠」っていうのは、

そんなボクと君のちょっとした「誇り」でしたよね。

つまりはこれが「ハイコーフェスの愛情の歴史」でもあって、

誰もそんな風に思ってないのかも知れないけど、少なくてもボクには誇りで歴史だったんです。

 

でもやっぱり「そんな無理の積み重ね」を長くは続けていられませんよね。

みんな「無理」してるんだから、どこかに「歪み」が出てしまいますよね。

「歪み」が出たのはボクでした、ボクは自分にほとほと虚しくなってしまっていました。

みんなに迷惑ばかり掛けて、それでも好き勝手やってしまう事、

「歴史」が増えた分だけいろんなところに影響が出てしまう事、

みんながそれを「当たり前の事」としていつも受け止めてくれるからこそ、

ボクはみんなに「それと同等の愛」を返せていない気がしていて、

ずっとそこに「罪のようなもの」を感じてしまうようになっていたんです。

なので「そんな自分勝手なハイコーフェスの進藤くん」に嫌気がさしたのも、

ハイコーフェスを終わりにしようと決めた1つの理由で、

ボクが誰よりも「全部を愛さないと成り立たない」のがハイコーフェスだと分かっているからこそ、

「愛するもの」が増え過ぎて「ボク」は疲れてしまっていたんです。

「愛」は無限にあるのかと思っていたけど、ボクには愛が足りませんでした。

もちろん「そういうハイコーフェス」をボクは愛していた訳だし、

それが「ハイコーフェスの良いところ」だとボクが誰より信じていたんだけど、

その反面、「そういうところ」が「ハイコーフェスの悪いところ」だった事をボクが誰より痛感していて、

全然伝わらないかも知れないけど、愛に溺れて愛に殺されたみたいな感じだったんです。

 

そんな理由もありで今年のハイコーフェスは、「このまま10組で行こう!」、

一度はそんな風に自分の中で答えを出したつもりでした。

もうボクにはこれ以上、出演者の事を愛せるだけの「愛」が残っていなかったからです。

 

にも関わらず、ボクは「もみじさん」に出演依頼を出しました。

さっきまで散々書き殴ったあの気持ちが何だったんだ!って思うかも知れませんが、

それでもボクは「もみじさん」に出演依頼を出したんです。

もうすでにハイコーフェスの予告編動画を撮影しに行く5日前で、

いろんな事がいろいろ進んでいる中で、それでもボクはもみじさんに出演依頼を出しました。

 

「出演交渉」なんて偉そうに書いたけど、

交渉できるだけの条件なんて何1つ提示してあげられないまま、

「もみじさんもハイコーフェスに出てください!」、

「出演時間は15分で出演料は宿泊代だけで、その条件でもハイコーフェスに歌いに来てください!」、

「出演順も1番早くなるけど歌いに来てください!」、

「朝9時15分から歌う事になるけど歌いに来てください!」、

失礼は承知で、でも無茶苦茶なこちらの要望だけをたくさんたくさん書いて、

それでももみじさんにハイコーフェスのステージで歌ってもらいたいと出演依頼を出しました。

「ハイコーフェスを終わりにする事」については、

まだこの時点では「ボク」にすら分からなかった事だけど、

でも何となく「終わり」がすぐそこまで来ている事は分かっていて、

もう目の前にぼんやりと「さようなら」の文字が見えていて、

なので尚更、ボクが全ての「心残り」に「さよならしたい」と思ったんです。

「もみじさんのハイコーフェス 」にも決着をつけてあげたいなーと勝手に想ったんです。

 

「何自分だけ心残りなくスッキリ終わりにしようと思ってんだ!」って、

「何でいつも勝手なことばっかするんだ!」って、

後でみんなに怒られちゃうかもなーって後ろめたい気持ちもあったけど、

ボクがいつかハイコーフェスを想う時、

あんなにハイコーフェスを愛してくれた「もみじさん」を想い出した時、

「もみじさんをステージに立たせなかった事」をボクは一生後悔する人なので、

ボクはそれがどうしても嫌だったんです、そんな自分が許せなかったんです。

「ハイコーフェスに与えてもらった愛」を何1つ返せないまま、

ハイコーフェスがとうとう終わってしまうんだなーと思ったら、

やっぱりボクは居ても立っても居られない気分で、

出演依頼を出してすぐにもみじさんから返事が届きました。

「出演します!サイコーです!超嬉しいです!」、

ボクが提示した出演条件には何の不満も要望を口に出す事なく、

もみじさんはまたしてハイコーフェスの愛を受け入れてくれたんです。

そんなのね、自分でも酷いやり方だなってガッカリしちゃうんです。

「出演料は払えないけどステージに立たせてやるから良いよね?」みたいなやり方は、

アーティストを買い叩くみたいで卑怯だなって本当に本当に嫌だったんです。

でも例えボクが「嫌な奴」になってでも「悪者」になってでも、

ボクはもみじさんに歌って欲しかったんです。

「あの時」ボクが間近で見た、もみじさんの心の声を魂の叫びを、

ボクは最後のハイコーフェスで皆さんにも見せてあげたかったんです。

 

もみじさんの返事をもらったその夜です、

近江さんと澁谷くんと打ち合わせのため久しぶりに顔を合わせたボクは二人にその事を伝えました。

二人は特に驚いた顔もせず、まるで「それ」が当然の様な顔をして、全部を受け入れてくれました。

「あの子の場合は、ただハイコーフェスに出たいって言うのと違うもんな。」、これは近江さんが言ってくれた名台詞です。

いつからかハイコーフェスは「ハイコーフェスに出たい!」って、

「ハイコーフェスに出してください!」って、

そんな風に言ってもらえるようなフェスになってて、

みんなが知っているような有名なバンドも含め、

毎年何組かの方達から「逆出演オファー」を頂いているのも事実で(もちろん今年もね)、

でもいくら有名でも売れててもそれだとやっぱり「逆」なんです。

「呼びたいと思ったから出てもらう」訳で、

「出たいと思ったから呼んであげる」だと逆で

そこが逆になっちゃうと「信念」なんて口に出来なくなってしまう訳で、

もみじさんは決してボクに「ハイコーフェスに出してください!」とも、

「ハイコーフェスに出たい!」とも、そんな事一言も言わなくて、ボクは「そこ」が好きでした。

「馴れ合い」がハイコーフェスには似合わない事をもみじさんは知ってくれていて、

「それ」って、ハイコーフェスをちゃんと愛そうとしてくれた人にしか分からないところで、

だから簡単に「ハイコーフェスに出してください!」って言わないもみじさんをボクは好きだったし、

そこを近江さんもちゃんと見てくれていて、

そんな訳で二人が了解してくれるなら「これでバッチリOK!」で、

「小棚木もみじさん」のハイコーフェス出演が決定した訳です。

 

もちろんさっき書いたとおりで、他の出演者の半分の時間しか歌う事ができません。

出演時間だって朝早くからの「1番不利な時間帯」での出演だし、出演料だって払えないし、

それでももみじさんがハイコーフェスのステージに登場します。

そこまでしてボクがもみじさんに歌ってもらおうとしたのは、

何もここにたくさん書いてきた「もみじさんのハイコー愛」が全てな訳では無くて、

「もみじさんの歌」にちゃんとボクが「何か」を感じたからステージに立ってもらう訳で、

「そこ」はちゃんと覚えてて欲しいところなので、勘違いして欲しくないところなので、

なので、もう少しだけ、もみじさんの音楽について紹介させてくださいね。

 

 

もみじさんの事はハイコーフェス7の少し前にその存在を知りました。

レテパの古宮くんがブログでもみじさんの歌の事を書いてて、

「いい歌を歌ってます」みたいな事を書いててYOUTUBEで見たのが初めてでした。

その時ボクが見たのはMVとかじゃなくて弾き語りライブのもみじさんで、

「なついあつ」、「きみんち?」、「メリミー」って3曲を歌ってて、

特に先入観も持たずに何気な聴いた瞬間から良いなーって感じだったけど、

10分くらいの動画がどんどん尻上がりにライブも曲も良くなってて、

気がつくとすっかり真剣に見入っていました。

 

もみじさんって「新中央線の女王」なんて言われるくらいなので、

俗に言う「高円寺系女性シンガーソングライター」ってイメージだったのですが、

んで、「高円寺系女性シンガーソングライターの草分け」と言ったら「大森靖子さん」ですよね。

ボクは「大森靖子さん」と言う超歌手の弾き語りを何度も間近で見た事が自慢ですが、

「大森靖子さん以降」の「弾き語り女性歌手」に有り勝ちなのが、

それだけの影響力があるって事なのでしょうが、

どうしても「大森靖子系弾き語り女子」になってしまう傾向が多々あるのですが、

(ボクらの時代で言うところのたくさんいた椎名林檎系弾き語り女子現象ですよね)

それだとやっぱり本家は超えられないと言うか、言い方が悪いけど偽物って言うか、ぼやけて見えちゃって、

女の子がギターを弾き語りながら歌う上で「大森靖子さん」ってものすごく大きなスタイルができてしまった事で、

そこを突き抜けていくだけの「何か」を感じられる歌になかなか出会えなかったんだけど、

もみじさんの歌はメロディーも歌詞も「らしさ」が伝わってくると言うか「もみじ節」が炸裂していて、

他の誰の真似でもない「シンガーソングライター小棚木もみじ」がハッキリと見えたんです。

 

もみじさんの愛くるしいキャラクターって、勝手にこちら側でイメージする感じだと、

ニコニコとフニャフニャとしている見た目や話している時の印象がやっぱり強いじゃないですか、

でもギターをかき鳴らして歌い出した瞬間にスイッチが入ると言うか、まるで別人に振り切れます。

立ち姿の「姿勢」からして別人になると言うか、スッと「芯」が入る感じで、

ボクはステージの上で「映えて見える人」ってシンプルに「そこ」だと思うんですよね。

んで、もみじさんは「それ」がちゃんと出来ていて、なので見ててカッコ良いんです。

一見すると元気にあっけらかんとキャッチーさを全面に歌っているように見せ掛けて、

極限まで削り落としたシンプルな言葉でズドンとくるキラーフレーズを畳み掛けてきたり、

なんともチャーミングにカワイイ感じで歌っているように見せ掛けて、

曲の途中のシャウト1つでギアを入れ替える様に喜怒哀楽を自由自在に爆発させたり、

歌い出しの印象と曲を全部聴き終わった時の印象がガラリと変える不思議な力を持ってて、

曲にも声にも見せ方にも共通して言えるのが、

「可愛さ」と「活発さ」と「毒々しさ」と「寂しさ」を緩急と強弱で使い分けている事で、

「憑依系歌手」って括ってしまうとありがちかも知れませんが、

1曲の中で何人ものキャラクターを歌い分ける表現力は本当に素晴らしいです。

「結婚しよう、子供作ろう、100人作ろう、私頑張るわ」と歌う、

ボクもゾッコンのもみじさんの代表曲「メリミー」と言う曲がありますが、

「メリミー」の後半部分で「でも好きよ、好きよ、好きよ、1番よ」と歌うところがあるんですが、

ここの「好きよの歌い分け」と「1番よのオチ」のセンスの良さは本当に絶品で、

メロディーや歌詞の分かりやすさやキャッチーさをちゃんと大事にしつつ、

「喜怒哀楽」と「緊張と緩和」を自由自在に歌い分けられるそのセンスにボクはゾッコンです。

 

もう1つ、「声に味がある」のも、もみじさんの大きな特徴で、

酒灼けとか喉を潰したようなガラガラのしゃがれたボーカルとはまた少し違いますが、

どこか「やさぐれている」みたいな雰囲気を感じてしまうのがもみじさんの持ち味だと思ってて、

もちろん普通に上手い声でも、意図的に甘ったるい猫なで声でも歌う事が出来るのですが、

逆に「ここぞ!って場面」では、意図的に「やさぐれている方の声」を出してきて、

これが実に男心を突いてくると言うか、心を揺さぶってきてグッときてしまいます。

女の人って本気の時、ちょっと声が「やさぐれ」ませんか?

「あんたの事愛してたんや!」でも、「ウソつき!大嫌いや!」でも、

「あんたの事好きや!」でも、「バカ!でも大好きや!」でも、

その辺の言葉の好みは人それぞれとして、でも女の人が本気で言葉を発する時って、

なんか少し「やさぐれてる」くらいの方が心に響いてきませんか?

多分男なら誰もがそんな「やさぐれた声」が好きですよね、

あの夢にまで見た「やさぐれた声」と意図的に使い分けれるんだから、

そりゃあ人類の半分はみんなもみじさんが大好きなはずなんです。

「もう半分はどうすんの?」って皆さんには、

人類の女性代表である「こーちゃん」も、もみじさんの声が大好きって事でこれで他に説明はいりませんよね。

それに加えて、やさぐれているのに歌い方に「キレ」があるって言うのも特徴的で、

語尾の切り方にも独特のクセがあると言うか、妙に語尾を短く切る歌い方をしてて、

この「キレ」があるからこそ、歌詞がものすごく聴き取りやすくて、

歌詞がものすごく聴き取りやすいって事は心に突き刺さりやすくて離れないって事で、

実はボーカリストとして相当な才能に恵まれた選ばれた人のような気もしています。

 

ハイコーフェスって始まったら終わるから、

「始まり」は「終わり」だから、

なのでいつもは始まりが一番淋しいけど、

「最後のハイコーフェスくらい笑って終わりたい」って言うのがボクの願いですからね。

そしたらね、「うたって!おどって!ねて!ごはん!とにかく明るい小棚木もみじ!」ですからね、

最後のハイコーフェスにこんなに相応しい始まりは他にない訳で、

ハイコーフェスの始まり、

ステージ上で大胆に厚かましく(いい意味でね)、

好き放題暴れまわれる明るく元気なもみじさんを見逃したらそれこそ「心残り」になりますからね。

後から出演が決まった訳だし、出演時間だって他の出演者の半分なので、

何となく「おまけ」みたいに「オープニングアクト」的な感じで捉えちゃう人もいるかもだけど、

「逆境」すら跳ね除ける歌を歌えるのが「小棚木もみじさん」だとボクは信じているので、

もみじさんこそが「最後のハイコーフェス」に相応しい「ハイテンションなトップバッター」、

あの奇跡の1日の幕開けに相応しい「最強の切込隊長」だと信じてるので、

歌い出した瞬間、たった15分のライブで、必ずや会場を「良い雰囲気」にしてくれる事間違いなしなので、

ジャニスが「私だけを愛して!」と歌ったように、もみじさんもまた「私だけを愛して!」と歌って見せるはずだから、

他の出演者の闘志に「火」を点ける意味でも、ボクはもみじさんの15分にめちゃめちゃ期待してて、

もみじさんから始まる「最後のハイコーフェス」がどんな風に転がり出すのか、

「ロック」が「ロール」する瞬間、

これが本当に「最後」の「最初から最後までクライマックスです!」の始まりなのでお見逃しなくです!

 

なので今年も本当にお願いです!

「時間が早すぎるよ!」なんて言わないで、

「ハイコーフェスには行くからもう少し寝かせてよ!」なんてを言わないで、

絶対遅刻せずに遅くても9時までには必ず体育館に集合してくださいね!

早朝9時15分から始まるクライマックス、

「始まり」を見ないで「終わり」なんか語れる訳ないから、

「バンドが見たい人」も遅刻せずに来てくださいね!

「バンド」より良いもの見せてあげますからね!

 

 そんな訳で「心の声」を「魂の叫び」で歌い上げる「和製ジャニス・ジョップリン」がハイコーフェス初登場!

「最初で最後のハイコーフェスのステージ」って言うのも鬼気迫っててジャニスにピッタリですよね!

数いる「和製ジャニス・ジョップリン」に真っ向から喧嘩を売る、「これがハイコーフェスのジャニス ・ジョップリンや!!!」

 

 

ちなみに、全然関係ないんだけど、

この銀杏BOYSの「ぽあだむ」のMVの5分23秒のところに映ってるの、

若かりし頃のもみじさんだと思うんだけど違うかな?

ずっとモヤモヤしてたけど本人に確認するのを忘れてて、皆さんどうでしょうか?