【ボクが大好きな斎藤キャメルについて】

 

【ボクが大好きな齋藤キャメルについて】

 

ハイコーフェスまで残り5日を切りましたね

日に日にパンパンに腫れ上がっていく「想い」と共に

ボロボロの人にもワクワクの人にも平等にハイコーフェスはやって来ますね

皆さんの日頃の行いが相当に良いのでしょうね

9月中の日曜日は毎週「雨」だったのに

10月開催にズレ込んだ今年のハイコーフェスは

週間天気予報によれば当日は「晴れ予報」で

最高気温22℃、最低気温12℃と

この時期にしてはサイコーのお天気予想となりましたので

また1つ不安が消えて嬉しいです

とは言え、「半袖じゃあ寒い」のには変わりはありません

「夏の終わりのハイコーフェス」ですが

厚手のパーカーや暖かいアウターを準備して頂かないと正直かなり寒いです

寒くて帰りたくなったり体調を崩すと元も子もありませんので

どうか皆さん、「アウター、座布団は忘れずに!」です

 

さてさて気になる前売りチケットの方ですが

残り一週間を切ったタイミングで

次から次に予約が入って来てくれまして

今日で「212人」です

5日前のレテパの紹介文を書いた時が「191人」だったから

ようやく少し加速してきた感じです

週末ゴマシオでハイコーサンプルCDを渡して勧誘していた人たちも軒並み予約を入れてくれて

まだ会った事もない人が来てくれるのはもちろん嬉しいけど

顔を合わせて一生懸命お願いしてきてもらえるのはやっぱり嬉しくて

ボクはこの夏150枚近くのCDを手渡しました

フライヤーを自ら手に取ってくれた人

少しでも興味持って話を聴いてくれた人

ゴマシオ店頭で予約をしてくれた人に気持ちを込めて渡し続けました

もちろん残念ながら予約を入れてくれるまではいかない人の方が圧倒的に多いけど

少なくても150人の人が1回くらいはCDを聴いてくれたはずで

それがどれだけハイコーフェスに繋がったか分からないけど

「やって良かったなー」って想うことばかりです

ここまで来ると「250人」でも「212人」でも同じ様な気もしますが

「成し遂げる」まで「終われない」ので

どうせなら「成し遂げて終わらせて」欲しいんです

「もう少し」とか「あと少し」とか

「惜しい」とか「頑張った」とかはいらないので

なんとかしてハイコーフェスに「奇跡」を起こしましょう!

 

まだ始まっても終わってもないけど

今年こそが本当の「ハイコーフェス」な気がしてるので

「今のハイコーフェス」を見ないと絶対に後悔しますので

どうか「ハイコーフェスの奇跡の欠片」になりに来てくださいね

大丈夫、まだまだ絶賛前売りチケット販売中です

 

 

そんな訳でいよいよ佳境の出演者紹介10組目は

「ミスターハイコーフェスになり損ねた方のミスターハイコーフェス」

今年で「7年連続?7回目?」の出演となる「斎藤キャメルさん」の登場です

 

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【ボクが大好きな齋藤キャメルについて】

 

3月も終わりの事でした

「君と僕の喫茶店」が定休日の水曜日です

朝早くからハイコーフェスをやらせてもらえる廃校を探して

たくさんの資料を抱えて「偉い人たち」に説明をして回って

一箇所だけ「好感触」の場所があり

「また伺います、よろしくお願いします」なんて

お昼前に家に戻ると家には誰もおらずで

「あれ、おかしいなー、今日はさんちゃん午前で帰ってくるのになー」って

「腹減ったなー」なんて思いながら

「君」が帰ってくるのを待ちました

 

「君」が帰ってくるまでの間に

さっき偉い人から「指摘された箇所」を修正しようとパソコンに向かうと

机の上に置かれていた何枚かのプリント用紙が目に入りました

プリント用紙にはインターネットから拾って来たであろう

「誰かが書いた物語のような言葉」が切り貼りされていて

その「物語のような素敵な言葉」を読みながら

「これまでの事」を想い出しました

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僕らはいつからかバカげたことをしなくなる。


to do リストは日々更新されて一向に減ることがなく、

バカげたことは年に一回の休暇よりも下位に置き去りにされる。

そうやっていつからか大抵のバカげたことはリストから外れ、忘れてしまう。


でもそんな風に消え去ったバカげたことの中には、

とても尊い何かを得るチャンスを秘めたものもあったんだと思う。

 

遅かれ早かれ、あるいは小なり大なり、
お別れの時は等しくやってきます。


本当に人生は素晴らしく、世界は美しい。そう思う。


でもそれは人生に終わりがあるからこそ…
とか思っているわけではありませんよーだ。

限りのないお別れを繰り返して、僕らは続いていくから。
そう思ってます。

 

人生は素晴らしい。
どれほどくだらなくて惨めでも。

抗いようもなく不公平で救いようがなくても。


後ろめたさに息苦しく、押しつぶされそうでも。


それでも僕らは、想像を絶して幸運のはずだ。

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「誰」が書いたのかはすぐに分かりました

 

少しすると玄関の扉が開いた音がしたので

急いでプリント用紙を元の場所に置き直し

何食わぬ顔でパソコンに向かいました

「君」は「GUの袋」を片手に帰って来て

急いでお昼ごはんの準備をしていました

しばらくするとさんちゃんが帰って来て

3人でお昼ごはんを食べました

 

「君と僕の喫茶店」ですからね

土日祝日は稼がなきゃしょうがないからね

「3人揃ってお昼ごはんを食べる」なんて「幸せ」は

小学校が長期休み以外にほとんどない訳で

その日のメニューに選ばれたのは

さんちゃんの大好物の「ピーマンの肉詰め定食」で

僕らは3人でムシャムシャと「ごちそう」を食べました

 

ご飯を食べ終えて少しすると

さんちゃんの友達が何人も遊びに来ると言うので

僕らは部屋から追い出されました

「昼寝したかったなー」なんて思いながらも行き場のない僕と君は

仕方なく店のソファーに座ってギターを弾いたり漫画を読んだりしました

夕方まで時間もあったので、店の前で洗車をしたり、ぼーっとして過ごしました

 

晩ごはんは僕が作りました

「カレーでいいよね?」って、3人でカレーを食べました

 

「誰かが書いた小説のような物語のような言葉」

「誰」が書いたのかは、皆さんもすぐに分かりましたよね?

「あの人」の「汐風のたより」が「君」の「心の支え」で

 

”人生は素晴らしい、どれほどくだらなくて惨めでも”

 

「君」がどんな「想い」でその言葉に「救われていた」のか

「君」がどうして「それ」を机の上に置いていたのか

「君」が机の上に置いていた「ボクと君の物語」に

「ボク」が「最後の1ページ」に書き足して良いのなら

ボクは迷わず「この言葉」が書き足す事でしょう

 

”ありがとうとごめんなさいの丘に、僕らはこうして立っています。”

 

そうして「ボク」と「君」は「手」を繋いで眠りました

 

全然「特別な日」ではなかったけど、でも、とても「特別な一日」でした

 

 

 

と言う事で、「これぞ!ハイコーフェスの出演者紹介!」って感じの

「素晴らしい想い出」からスタートですね

「ハイコーフェスの出演者紹介は紹介じゃなくポエムですよね」なんて

「本当に可哀想な人たち」から「バカにされたこと」もあったけど

「ポエム」じゃなくて「想い出」なんだから許して下さいね

「ポエム」じゃなくて「愛」なんで、そこんとこよろしくです

 

もう7回目ですからね

紹介し尽くしてしまった感がありますが

「この人」を紹介する時は

決まって「感傷的」で「ロマンティク」でいたいんです

なので今日は「うんざり」するほど「感傷的」で「ロマンティク」になりますので

どうか「覚悟」して読んで下さいね

出演者紹介だけど出演者紹介なんかしませんからね!

 

これが「ボクが大好きな斎藤キャメルさんについて」です

「君が大好きな斎藤キャメルさんについて」です

 

 

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進藤ちゃん

毎度返信遅れてごめんよ!桜は楽しんだかい。

みんな元気かな。

話はわかったよ。

ハイコーフェスのお誘いありがとう。

ばかやろは死ぬまで治らないね。

でもばかやろには人と運がついてくる。

良い人生だよな。

道を踏み外して大人になった俺を導いてくれよ。

今年もよろしく。パーティやろうぜ。

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今年最初に斎藤キャメルさんから頂いたメールは

まるで「古い友人」に送る「手紙」のように短いもので

でも「この短い手紙」の中には

「ボクと君のハイコーフェス」が全部詰まっている気がしました

 

もはや説明するまでもありませんが

斎藤キャメルさんは「2回目のハイコーフェス」から続けて出演してくれています

今は活動休止中の「WATER WATER CAMEL」として出演してくれて

それから今年で7回目、ずっと「ハイコーフェス」と「君」と「ボク」を

「いつも笑顔」で見守ってくれています

 

「7回目?6回目の間違いでしょ?」ってそう想いますよね?

「公式ホームページにも6回目って書いてるのになんで7回目なんだよ!」ってそう想いますよね

確かにその間に1度だけ、どうしてもスケジュールが合わない年があって

5回目のハイコーフェスの時は出演辞退となったんだけど

ハイコーフェスが終わった翌日

ようやく家に帰って来て持って行った大量の荷物を片付けて

晩ごはんを作る気力もなく家族3人でカップラーメンを食べてね

とにかくクタクタで今すぐ寝ようかなーって

身も心も疲れ果ててるはずなのに何だか寝付けなくて布団でコロコロしていると

夜中の12時くらいだったんだけど突然電話が鳴ったんです

「誰だろう?こんな非常識な時間に!」って着信を見たら斎藤キャメルさんで

「どうだった?進藤ちゃん」って

「とにかくお疲れ様、ゆっくり休んでね」って

「出れないと分かってたけど、出れないまま終わると淋しいなー」って

時間にしたら10分くらいだったけど本当にこれで

「ボクのハイコーフェスが終わった」気がしたんです

 

もしも「5回目のハイコーフェスで何が1番想い出に残っていますか?」って聞かれたら

ボクはきっと「ハイコーフェスんの翌日の斎藤キャメルさんからの電話です」って答えてしまう気がして

もちろん「あの年のハイコーフェス」には「素晴らしい奇跡」がたくさんあったし

「どの出演者」にも1組1組に「想い出」が残っているけど

「あの年のハイコーフェス」を想い出す時は決まって

「出演してないはず」の「斎藤キャメルさん」を想い出してしまうから

「ボクのハイコーフェスの歴史の中」では「連続出演」で

たった「10分」だったのかも知れないけど

受話器越しでちゃんと「歌ってもらえた」気分だったんです

 

なので斎藤キャメルさんって実は

2回目のハイコーフェスからずっと

ハイコーフェスに連続出演しているのと同じで

「ボクのハイコーフェスの歴史」の上では

今年で「7年連続7回目」の出演となる訳で

平井さんと並ぶ「ハイコーフェスのレジェンド」

「ボクと君のハイコーフェス」の「特別な登場人物」となっています

 

ここに気付いている人がいたらかなりの「ハイコーマニア」ですが

斎藤キャメルさんって「みんな」と違う角度から

ずっとハイコーフェスを見てくれた人だと想うんです

「どっちが良い」とか「どっちが悪い」とかじゃなく

「見てきた年数が長い」とか「短い」とかの違いでもなく

ずっと「君の立場」からハイコーフェスを見てくれた気がして

多分ハイコーフェスって、スタッフもお客さんも出演者もほとんどの「みんな」が

「ボクの立場」から見てると想うんです

この「ボク」は「それぞれのボク」って場合もあるし

「ハイコーフェスの進藤くんの立場から」って見方もあるしで

でも「君のハイコーフェス」って「誰にも分からない物語」がある事を

「みんな」すっかり忘れてて見落としていて

それをずっと見守って来てくれたのが斎藤キャメルさんで

なので、ちょっと自分でもなんて書けば「ちゃんと」伝わるのか分かんなくなってますが

今年ハイコーフェスに出演してくれる11組の出演者の中で

斎藤キャメルさんに限ってだけは

「ハイコーフェスなんか続かなきゃ良かった」って

そんな風に想っているような気もするんです

 

別に斎藤キャメルさんが「冷めてる」とかじゃないんです

「ハイコーフェスにうんざりしてる」とかじゃないんです

でも斎藤キャメルさんって、どんな時でも「君の味方」で

「ハイコーフェス」より「君の事」を「第一」に考えてくれる人で

だから「どんな理由」よりも「君」なんです

「君」がハイコーフェスを愛せなくなった時点で

「君」がハイコーフェスから離れた時点で

ハイコーフェスには「価値がない」と思ってくれてる気がするんです

 

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心が駆り立てられるならやったらいいんだよ。

梢ちゃんが良いよと言ってくれる限り。

また何か分かるから。

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これは去年のハイコーフェスが始まる前に斎藤キャメルさんから頂いたメールですが

ずっと「こんな風」に「君」を応援してくれて

ハイコーフェスが続く限り、「ボクと君」はずっとこの繰り返しだけど

その度に斎藤キャメルさんは「君」を救ってくれて「ボク」を許してくれて

決して「君」を「独り」にはしませんでした

ずっと「君」の事を「1番」に想って見てくれていた気がしました

もう何年も前から「君」は「しあわせ」を「ひきかえ」にしていて

ハイコーフェスを愛すれば愛するほどに

「ボク」が「孤独」になる度に「君」も「孤独」になっていて

「ボク」は「ひとりぼっち」に憧れていただけだけど

「君」は本当に「ひとりぼっち」みたいな気分だったんでしょうね

最後にはやっぱり「みんな」が「ボク」の「みかた」をしますからね

「ハイコーフェスの進藤君の味方」って意味もあるし

「それぞれのボクの見方」をしているって意味もあるしで

「ハイコーフェスの奇跡」を目の当たりにする度に

「ハイコーフェスが続く事」を願ってしまうと想うんです

「どうにかして頑張って続けて欲しい」って、そんな風に願ってしまうと想うんです

そんなたくさんの「ボクの想い」こそが

「ハイコーフェス」の「素晴らしい何か」な訳ですしね

 

たまに二人で話すんです

「ハイコーフェスを違う立場で見てみたいよね」って

「お金2倍出すから1回で良いから主催者じゃない立場で見てみたかったよね」って

「なんでこんなに疲れるのかな?心なのかな?体なのかな?」って

「私は君みたいには出来ないよ、なんで君は無敵なんだろね?君がバカなのかなー?」って

「皮肉」に聞こえたらごめんなさい、全然そんなつもりじゃないですよ

ただなんて言うか、「そこまでしないとハイコーフェスを楽しませてもらえないのか」と想うと悲しくて

「君をこんなに疲れ果てさせて、そこまでしないとハイコーフェスじゃないのか」と想うと虚しくて

それでも「君」はいつもハイコーフェスを続けさせてくれて

いつからかボクはそれを「最も大きな罪のようなもの」と感じるようになって

「君」と「ハイコーフェス」を「天秤」に掛けて

「バランス」を取るかのようにハイコーフェスを続けていて

もう何年も「疲れ果てている君」を見ているのが「ボク」はとにかく辛かったんです

全部「ボクのせい」だと想って苦しかったんです

 

全部「ボクのせい」だから「ボク」はますます頑張りました

もっともっと「君の分も」と頑張りました

「バカ」とか「アホ」とか「クソ」が付くくらいにそりゃあもう頑張ります

「ハイコーフェス」だけ頑張ったら「本物のバカ」だから

「君」や「さんちゃん」や「大切な人」には「やさしく」しようと

「大切なもの」を「全部守ってやろう」と

「生活」や「日常」も「クソが付くほど頑張ってた」つもりで

「意地でも全部守ってやろう」と歯を食いしばって頑張ってきました

頑張って、頑張って、頑張って、頑張って、時々歯も痛くなって

そんな風にして何年もハイコーフェスをずっと続けて来た訳です

少しでも手を抜いたら全部壊れてしまいそうで不安で不安で仕方なかったんです

 

で、去年のハイコーフェスの打ち上げで斎藤キャメルさんから言われたんです

「進藤ちゃんが頑張るから梢ちゃんが苦しいんじゃない?」って

そんなつもりじゃなかったけど、そんなやり方だったから、そんな気がしたんです

「自分が頑張ってないみたいな気持ちになるって言ってたよ」

「助けてあげられなくてごめんって気持ちになるって言ってたよ」

「君」が「本当の気持ち」を「斎藤キャメルさんにしか話せない」のは

斎藤キャメルさんがずっと「君の味方」だったからで

「ボク」も斎藤キャメルさんに言ってもらえたからこそ

ちゃんと「向き合えた」気がしました

多分、他の誰に言われても「そんな事は分かってるよ!」って

「分かってるけど、でもボクの気持ちが分かってたまるか!」って

きっとそんな風に想って、また同じことを繰り返していた気がします

「ボク」は「ボクさえ」頑張れば、辛い目にあえば、疲れ果てれば

「ボク」も「君」も「みんな」も「ハイコーフェスを楽しめる」と想ってて

なので「ボク」が頑張れば頑張るほどに「君」は苦しかったのかも知れません

「ボク」が頑張ると「君」も頑張らなきゃいけない気になって

知らないうちにどんどん「君」を追い詰めていたのかも知れません

そんな風に何年も頑張り続けて来たせいで

「君」はとうとう「空っぽ」になってしまって

「全部を平等に全部を守る」なんて考えるのは

「ボク」みたいな「頭のおかしい人間」じゃなきゃ辿りつかない事なのかも知れなくて

「君」が1番守りたいのは「穏やかな時間」なのに

「君」は相当に無理をして「ボクの守りたいもの全て」に付き合ってくれて

「君」は本当に「真面目」だから全てに手を抜けなかったんです

「お母さん」をして、「妻」をして、「ゴマシオの看板娘」をして、「ハイコーフェス」をして

「スポ小」をして、「PTA」をして、「町内会」をして、「ハイコーフェス」をして

もっと「諦めれば楽」なのに

どうにかして「君」も全て守ろうと必死で付いてきてくれて

こんがらがった糸はどこからほどいて良いのか分からないくらいに複雑で

知らない内に自分の首にも相手の首にも絡まっていて

「今年こそは」と上手くやってたつもりだけど

それでも相手を気遣ってしまうのが「ボク」と「君」だから

自分の首に絡まった糸をほどくより、相手の首に絡まった糸をほどこうとするから

結局「ボク」も「君」も窒息寸前でした

 

どう言葉にしたら良いのか分からないけど

きっと誰にも「ちゃんと」は伝わらないかもだけど

「それがハイコーフェス」なんだけど

「それがハイコーフェス」なのが「嫌」になったんです

 

もう何年も「君」は「僕とみんなとハイコーフェスのため」に頑張ってくれて

「君」がほとんど残っていないくらいに「君のしあわせ」を「ひきかえ」にしてくれていて

「ボクのしあわせ」と「君のしあわせ」は「重なってるはず」だから

「君」が「しあわせ」じゃないと「ボク」が「しあわせ」になれないんです

なので、まずは「君」を

「ハイコーフェスの得体の知れない何か」から「解放」したいと想ったんです

「君」を「解放」できたら「みんな」の事も「解放」出来て

最後にはきっと「ボク」も「解放」される気がして

「ハイコーフェス」なんか「ただの素晴らしい1日」にしたくなったんです

 

極端な言い方をすれば「君」は「いてくれるだけ」で良いんです

「君」が一緒にいるだけ「しあわせ」です

斎藤キャメルさんもそうですよね

「ハイコーフェス」に「いてくれるだけ」でみんな安心出来ます

もちろん目が窪んで、頬が痩けても、ボロボロでも「ボク」は頑張ります

でも「君」も同じだと「ボク」が悲しいから

「君」にはずっと真っ白なままでいて欲しいんです

「君」が黒く霞んで見えたら「ボク」が何より悲しいから

「ボク」の「大好きなカワイ子ちゃん」には

「ちゃんとカワイ子ちゃん」でいて欲しいんのです(36歳だけどね)

 

「君がガッカリするかなーと想うと弱音を吐けなかった」

そんな風に言って「君」は悲しそうな顔をしていました

「でも最初からやらないって決めてたから自分の意思で決めたから大丈夫だよ」

そんな風に言って「君」は晴れやかな顔もしていました

「君」が誰より悔しかったと想うけど

「君」が誰より苦しかったと想うから

なので今年は「出演者の顔クッキー」はお休みする事にしました

毎年楽しみにしてくれてた皆さんは、きっとガッカリするかも知れないけど

「やらない事」できっと、斎藤キャメルさんの言うとおりです

「また何か分かる」気がしていて

これが「ボクと君のあたらしいハイコーフェス」だから

別に「君」に限った事じゃないですよ

「ボク」のために頑張ってくれている人はたくさんいて

「ボク」が「ボクのため」には良いけど

「君」が「ボクのしあわせ」のためだけに頑張ってしまうのはやっぱり違う気がして

「ボク」なんか「お釈迦様」でも「神様」でもないんだから

「ボクのハイコーフェス」から「解放」しなきゃいけない気がしたんです

「今まで」はそれで「良い」と想っていたことも

「今」が必ずしもそうとは限らなくて、「今」はやっぱり「今」なんです

なので「君」が「君の意思」で決めてくれたら

それが「君のハイコーフェス」ですからね

「辛い」とか「苦しい」とか「悔しい」とか「悲しい」を味わった分だけ

「ハイコーフェスが楽しくなる」みたいな「虚しい歴史」は、もうこれで「終わり」にしたいんです

 

とは言え、今ボクがパソコンに向かってるこの時間も

必死に諦めずに泣くのも堪えて「君」は「顔クッキー」を作ってくれています

「作らない」って決めたくせに、やっぱり「君」は作ってくれています

「出演者の顔で11組分は作れないけど、はなえもんのロゴでカワイイの作るね」って

「君を見てたら君が可哀想になってきたからさ」って

やっぱり今年も「意地」になって「気力」だけで作ってくれています

結局のところ全然「解放」出来てないのかも知れません

まだまだ「こんな事」くらいでは

「こんがらがったボクら糸」は「ほどけない」のかも知れません

でもボクらは少しだけ息の吸い方を思い出したんです

「君」の顔が少しだけ「おだやか」に見えるから

ほんの少しかも知れないけど、「何か」を取り戻した気もするんです

 

「ボク」も「君」も本当は

「ボクら」を困らせてる「何か」が

「全てハイコーフェスのせいだ」なんてこれっぽっちも想っていなくて

むしろ「感謝」すらしている気がします

たった1日のたった数時間の「楽しい」で

ボクらは何度も「救われて」来たし

ハイコーフェスがあったおかげで「何」を大切にしたいのか

本当に大事なものが「何」なのか

ハイコーフェスを始める前と後では

いい意味で「感じ方」が変わったような気もします

そりゃあハイコーフェスがあるんだから

日々の忙しさに拍車が掛かるのは確かだけど

ハイコーフェスがあってもなくても

「穏やかな生活なんか無い事」くらいは分かっているつもりです

それでも「ボク」や「君」や「みんな」が

「穏やかな生活」に憧れてしまうのは

「斎藤キャメルさんの音楽」が「穏やか」だからで

「愛と平和と穏やかな生活」

その全てが「斎藤キャメルさんの音楽」だからで

「斎藤キャメルさんの音楽」がある限り

ボクらはきっと「穏やかな生活」を諦められないんです

「穏やかな生活」を追い続ける事を諦めたら

ボクらはきっと「何者か」になってしまう気がして

「穏やかな生活」が何より大切だと信じてるから

ギリギリでいつも「一線だけは超えず」に立っていられたんです

「何者でもない」から「決して1人ではいられない」のに

「何者でもない」から「淋しくて仕方ない」のに

「何者でもない」から「あなたはぎゅっと抱きたくなる」のに

「何者でもない」からハイコーフェスに「何か」を求めてしまうのに

「何者か」になってしまったら「意味」がないから

ずっと「穏やかな生活」に憧れていたいんです

 

つまり何が言いたかったのかと言えば

「穏やかな生活」なんて滅多にあるものじゃなくて

みんな忙しく、慌ただしく、急いで、荒んだりして

必死に必死に生活してるんです

「穏やかな生活」って手に入らないからこそ

追い続けてるからこそ、永遠に「素晴らしい」気がするんです

だからボクは「君」に限らず

「斎藤キャメルさんの音楽」を好きだって人は全員です

もれなく「やさしい人」だと想っていて

なんて言うか、やさし過ぎて真面目で「損」しちゃってる側の人だから

そんな人の事が好きで好きで仕方ないし

だからせめて、斎藤キャメルさんの音楽を聴いている時くらいは

その人たち全員が「報われて」欲しいんです

「本当に欲しかったもの」を見ているような感覚で

報われて「救われて」欲しいんです

「幸せ」になって欲しいんです

 

だからって斎藤キャメルさんの音楽を

「報われる」とか「救われる」とか「幸せになれる」とか

「綺麗事」を並べて済ませたい訳でもありません

「やさしい」とか「穏やか」とか「ありがとう」とか

それだけじゃないのが斎藤キャメルさんの凄いところです

ボクは去年初めて「ひとりぼっち」でハイコーフェスに出演した斎藤キャメルさんを見て

「スナフキンみたいだなー」と想ったんです

「穏やか」で「やさしく」て「影」があって「大人」で

スナフキンってムーミンの永遠の憧れですよね

斎藤キャメルさんが「スナフキン」なら、ボクはさしずめ「ムーミン」ですよね

「スナフキン」は「ムーミン」に「真実だけ」を語ってくれて

冬から春に掛けては決まってムーミン谷を立ち去りますよね

ムーミンが自分も連れて行って欲しいと頼んでも

「ダメだよ、ボクは孤独になりたいんだ、来年の春にまた会おう」って

絶対に連れて行ってはくれません

ムーミンは冬の間は冬眠しちゃうんだけど

でも寝ててもスナフキンは心にいるんだと想うんです

ムーミンは永遠にスナフキンみたいにはなれません

でもいつも心にスナフキンが隠れていて

だからこそ「自分のしたい事を自分で知る事」が出来る気もするんです

斎藤キャメルさんの音楽も同じですよね

ボクにも君にもあなたにも誰の心に「斎藤キャメルさん」はいて

迷いが出た時に限って疑問を抱かせては考えさせてくれます

間違った選択をした時には「戒め」や「問いかけ」をしてくれます

でも決して「無知なムーミン」に「愚かなボク」に愛想を尽かしたりはしません

むしろ「無知」で「愚かな」な事ですらも「尊い事」のように接してくれるんです

それがつまりは「齋藤キャメルさん」が「スナフキン」と重なるところで

「やさしくてうんざりから逃げ続けて、穏やかで諦めてて、ありがとうとごめんなさいの丘に立っている音楽」なので

「いつかあなたの尊い愛や毒をまた取り戻せるかも知れない」なので

「うんざりの螺旋のどっか途中に素敵な女の子が僕を待っている」なので

「あなたはもっと小さな人間だったのよ、器じゃなかったの、でもそれが何だって言うの?」なので

「茶番劇を降りないで」なので

これは毎年書いてる事ですが「齋藤キャメルさん」って「ボク」や「君」そのものなんです

「穏やか」に憧れて、「やさしく」なりたくて、「うんざり」からずっと逃げている気がするんです

きっとどこかで何かに「絶望した事」がある人なんじゃないかと想うんです

そうじゃなきゃ「いつも笑顔を忘れずに」なんて当たり前の事を1番大切に出来る訳ないし

誰にでも当てはまる「当たり前のことだけど当たり前にできない事」をわざわざ歌にして

ボクはいつも「斎藤キャメルさん自身」が「何か」から許されようとして歌っているんじゃないかと

勝手にあれこれ心配してしまうほどに心に響くんです

なんて言うか「無常」みたいな「不条理」みたいなのがいつもどこかに隠れてて

どんなに「美しい言葉」が「理想的」に並んでいても

だから全然嫌じゃなくて全部納得して受け入れられるんです

 

「スナフキン」も「斎藤キャメルさん」も考えを押し付けません

みんなそれぞれ想いが違う事を理解してくれているからこそ

「ボク」も「君」も「ムーミン」もその声に耳を澄ます事が出来るんです

「ボク」も「君」も「ムーミン」も

「スナフキン」にも「斎藤キャメルさん」にもなれないから

結局最後には自分自身の答えにたどり着けて

なので、斎藤キャメルさんの音楽のおかげで

斎藤キャメルさんがいてくれたおかげで

「ボク」は「君」に「恋してる事」を想い出せました

毎年毎年同じ事の繰り返しだけど

決して忘れている訳じゃないけど

いつも斎藤キャメルさんの出演者紹介を書くときに

「君」が「好きだなー」って

「君」が「大切だなー」って

「穏やかな生活」に憧れる「ただの僕」が顔を見せてきて

「ボク」は何だか無性に居心地が悪い気分になるんです

皆さんはどんな事を想いながら斎藤キャメルさんを見るんでしょう?

いづれにせよ、斎藤キャメルさんがステージにいる時間は

もしかしたら「あの時間のため」に頑張れたような

ハイコーフェスを続けてこれたような「素晴らしい時間」なので

「あの時間」を作れるのは他の誰でもなく齋藤キャメルさんだから

どんどん「ロックンロール」に傾きかけた

「ハイコーフェス」って「世界で1番面白い1日の中」で

齋藤キャメルさんの「穏やかな音楽」が

どれだけ「尊いロックンロール」なのか今年も証明して見せますからね

「ボク」も「君」も生きてる限り好きなものはどんどん変わってしまいますが

「あっち」が良かったはずなのに、今日は「こっち」が良いと迷ってばかりですが

迷った時こそ「斎藤キャメルさんの音楽」ですからね

普遍でブレない、いつもいつまでも、「ボクの永遠のカリスマ」なんです

 

ハイコーフェス出演者の音楽はボクにはどれも大切です

でもやっぱり言い方が悪いかもしれないけど

「音楽がなくても死ぬ」訳じゃなくて

なかったら「つまんない」し「困る」けど

101回目のプロポースじゃないけど「ボクは死にません」なんです

にも関わらず、斎藤キャメルさんの音楽に出会ってなければ

どこかで「ボク」は死んでいたかも知れないし

どこかで「君」は死んでいたかも知れなくて

それどころかボクと君が愛して合っているのか分からなくなっていた気もして

多分きっと「大切な何か」は死んでいた気がするんです

 

ハイコーフェスが大好きなのにハイコーフェスが近づくにつれて

ハイコーフェスが強すぎて、信じすぎてて、大好きなのに大嫌いになって

何のタイミングでなのか分からないけど

最後はいつも斎藤キャメルさんの音楽しか心が受け付けなくなってしまって

「最後はやっぱり斎藤キャメルさん」って言うのがボクの毎年の口癖です

「ロックンロール!ロックンロール!」騒いでいたボクが

最後の最後に行き着く先は決まって斎藤キャメルさんです

本当に疲れた時、本当に何も失くなってしまった時

斎藤キャメルさんの歌だけが響く場所がボクの中のどこかにあるんです

つまりはそれが「誰の心の中にも斎藤キャメルがいる」って事なんでしょうね

大好きな「君」が笑って

大好きな「みんな」が笑って

それでようやく「ボク」も笑えるから

大好きな「君」が笑う顔を想い浮かべた時も

大好きな「みんな」が笑う顔を想い浮かべた時も

大嫌いな「ボク」が笑う顔を想い浮かべた時も

その時、ステージの上にいるのは決まって齋藤キャメルさんだから

何度も報われて、何度も救われて、何度も助けてもらったんだから

今年もやっぱり最後は斎藤キャメルさんです

 

ボクが今年は「ハイコーフェスの進藤くん」になりきれなかったのも

いつもより少しだけ「君」を傷つけずにできたのも

「みんな」の事が前より少し好きになれたのも

きっといつも心に「齋藤キャメルさん」がいてくれたからです

毎年いてくれたはずだったけど

今年は明らかに1度も離れることなくずっと側にいてくれて

とは言え、決して「穏やか」とは言える生活ではなかったけど

「穏やか」とは程遠い毎日だったけど

1年に1度、斎藤キャメルさんに会えるだけで

こんなに「穏やか」な気持ちになれるんだから

こんなに「君」の事を大切に想えるんだから

「ボク」が「今」立っている「場所」がきっと

斎藤キャメルさんの言う「ありがとうとごめんなさいの丘」なのでしょうね

ハイコーフェスを続けたおかげで、どうにか「この丘」までたどり着けたんだから

「ボク」は「君」に「ありがとうとごめんなさい」を言わないとですよね

「たくさんの君」にも「ありがとうとごめんなさい」を言わないとですよね

 

「茶番劇を降りないでくれてありがとう」

「器じゃなくてごめんなさい」

 

全然感謝が伝わらなかった人は

斎藤キャメルさんのライブを見て伝わってくださいね

ボクはムーミンだから

「恥ずかしがらないで〜、モジモジしないで〜」だから

これくらいで許してもらえたら嬉しいです

せっかくムーミンの話になったので最後にもう1つだけ言わせてくださいね

最初の方に貼り付けた斎藤キャメルさんからのメールの

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ばかやろは死ぬまで治らないね。

でもばかやろには人と運がついてくる。

良い人生だよな。

道を踏み外して大人になった俺を導いてくれよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ってところ、これってなんか「スナフキンとムーミンの関係性」みたいな気がして

なので勝手にすごく嬉しかったんです

「ばかやろで人と運がついてくる良い人生」なんて「奇跡」以外の何者でも無いから

導いてもらっていたようで実は導いていたのかも知れなくて

だってスナフキンが誰よりもムーミンの友人ですもんね

なので、斎藤キャメルさんがハイコーフェスを必要としてくれてるんじゃないかと想うと

やっぱりハイコーフェスを続けて「良かった」気もして来て

「良いこと」なのか「悪いこと」なのか、やっぱり「答え」は出ないけど

「斎藤キャメルさんの音楽」に心を動かされている間は「良いこと」だって信じます

 

 

いつにも増して全然出演者紹介のなっていませんが

でも斎藤キャメルさんはこれで十分ですよね

もう何を書いても全てが「みんな」に伝わっているし

もう何も書かなくても全てが「みんな」に伝わっていますよね

 

「ミスターハイコーフェスになり損ねた方のミスターハイコーフェス」です

そんな立ち位置に敢えて身を置いた「陰日向に咲く花」だけが知る「美しさ」

それがつまりは、いわゆるひとつの「ミスターみんなのハイコーフェス」って事ですよね

 

今年はどうしてかボクが恒例のリクエストを送る前に

当日歌う曲のセットリストまで送ってきてくれた斎藤キャメルさんです

こんな事件は今まで1回もなかったし

あの斎藤キャメルさんがまさか「理由なき反抗」をする訳がないし

きっと今年が本当の意味での「斎藤キャメルさんのボクのハイコーフェス」ですね

斎藤キャメルさんが「ボク抜き」でハイコーフェスに贈りたい曲とは何でしょうね?

 

ちなみにボクも我慢できなくて1曲だけリクエストをさせてもらいました

どう計算してもセットリストだけだと時間が余りそうだったので

斎藤キャメルさんには1秒でも長くステージにいてもらわないと困るので

1曲だけリクエストをさせてもらいました

 

さて、「ボク」が「君」のために選んだ曲とは一体なんでしょうね?

 

正解はもちろん、ハイコーフェスで!

 

気になって眠れない人はハイコーフェスで会いましょうね!

 

 

※リクエストのヒントはこの紹介文に隠されています

 

 

 

 

追伸:動画は去年のハイコーフェスで、世界で1番ハイコーTシャツが似合わないのは分かり切っているのに、

「進藤ちゃん、今年のTシャツはとても良いねー」なんてテンションMAXで、

うっかりハイコーフェスにハイコーTシャツを着て出演するという「らしくない」姿を見せて、

「ウットリ女子ども」から「悲痛な叫び」が上がった「伝説のうっかりキャメルさん」です。

今年も良いTシャツとトレーナーがあるので「うっかり」させたいなー。