【ボクが大好きなsunny sunny girlについて】

【ボクが大好きなsunny sunny girlについて】

 

一昨日から「KETTLES緊急出演」の「号外」が配布がされ始めましたが

皆さんお手に取って頂けましたか?

澁谷くんが気合の「1000枚印刷」してくれたので

今更なのにバカみたいに山積みの「号外」を前に見る度に笑ってしまいます

昨日は閉店間際に近江さんが駆け込んできて

「来てくれたお客さんに配るリストバンド、太いのが良い?細いのが良い?」って

「こっちの素材だと全部で3万なんだけど、こっちだと1万なんだよねー」って

本当は「どっちでも良いこと」を二人でいろいろ悩んだりして

澁谷くんは近江さんも「自分のためにやった」って言ってたけど本当にそのとおりですね

「何」がやりたかった訳でもなく

「何」になりたかった訳でもなく

ただ「それぞれのハイコーフェス」を成し遂げたくて

「誰かのため」にやってるつもりでも

最後にはきっと「自分のため」のやってるんです

「誰かを愛することは自分を愛することだ」ってどこかの偉い人も言ってたけど

「ハイコーフェスを愛すること」も「自分を愛すること」なのかも知れませんね

 

本当はもう「何」も残ってないのかも知れませんが「ボク」も「君」も

それでも燃え尽きても何してでも

どうにかして1人でも多くの人にハイコーフェスに来てもらいたいから

やっぱり「バカげたこと」はやめられないんだと想います

何があってもどんな風でもあと3週間で終わっちゃうんだから

とにかく「成し遂げたい」んです

こんな風に「自分のこと」みたいに「ハイコーフェス」を想ってくれる仲間がいるんだから

「1人ぼっちだけど1人ぼっちじゃない」からやるしかないですね

大丈夫、まだ全然間に合います!ここから「入場制限」の300人まで鬼の巻き返しでいきますね!

 

今日で前売り予約数が182人になったので、前売り完売までは残り68人です

「どうしても給食が食べたい!」って方はどうか「ご予約はお早めに」です

どうせ来るなら早く予約してボクを安心させてくださいね

そして先行販売していた「ハイコーTシャツ」ですが

こちらも在庫が残り僅かとなりました

80枚作ったTシャツが今日で残り15枚で

急に肌寒くなってますし、当日売れ残るのは怖いので

「ハイコーTシャツ」はこれ以上増販しませんので

どうしても欲しい方は「取り置き」でご連絡くださいね!

 

そんな訳で書いても書いても終わらない出演者紹介は7組目です!

3回目の出演は早朝9時30分から始まるクライマックス!

ボクがハイコーフェスに残した「たった1つの功績」はこの娘を見つけた事でしょう!

愛しくて愛しくて涙が出ちゃうくらいの「本当の意味での淋しいヤツ」!

「sunny sunny girl」の登場です!

 

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【ボクが大好きなsunny sunny girlについて】

 

皆さん気づいていたかどうか分かりませんが

ハイコーフェスの出演者には「3回目の壁」と言うのがあって

もちろんボクが勝手に「作っている壁」ですが

良いライブを見せてさえいてくれたら2回目までは超えられる壁です

ミュージシャンは歌を歌うのが仕事だし

「良いライブ」をしてくれたらそれが「全て」で

それ以上を求めるのは見当外れなのも分かっていますが

でも「3回目」からは違います

「3回目」からは「何か」が必要になってくるんです

 

もう何度も書いているからしつこいかも知れませんが

もはやハイコーフェスには「変えていい出演者」なんか残っていなくって

何年も続けて出演してもらっている出演者の皆さんには

「それぞれに物語」が付いて回っています

「普通のフェス」であれば

毎年「旬の出演者」を選んで

「上手いバンド」とか「売れてるバンド」とか

「分かりやすく実績のあるミュージシャン」を集めて

来てくれるお客さんを「飽きさせない」様にして

「新鮮味」をプラスしながら「上手い事続けている」気がします

でもハイコーフェスはやっぱりちょっと変わってて

確かに「新鮮味」や「あたらしい風」を吹かせる事も大切だけど

それ以上にボクは「それぞれの物語」を大切にしていて

ずっと何年も続けて出演してもらっている出演者の皆さんの顔を想い浮かべると

全ての皆さんに「物語」が出来ていて

何度もハイコーフェスに来てくれる多くの皆さんも

その「物語の続き」を楽しみに来てくれている気がします

だからこそ「ハイコーフェス」は「普通のフェス」とは明らかに違う訳なんです

 

ボクが今年もサニーサニーガールさんに出演してもらおうと決めたのは

サニーサニーガールさんの「物語の続き」が気になったからです

いつも部屋で歌っていただけの女の子が

突然シンデレラみたいにハイコーフェスのステージに登場して

1度だけなら綺麗な「夢」で終われたはずなのに

2回目は誰よりも物販でCDも売れていて

「ハイコーフェスに帰って来る事」を誰よりも待ち望まれていたんです

 

「愛なんてただの言葉だろ?」

確かにそんな風に歌っていたはずのサニーサニーガールさんが

「ハイコーフェスへの意気込み」に

「愛はここにあるよ!」と書いてくれた事が何よりの「証拠」です

去年のハイコーフェスの翌日、次々に出演者の皆さんとお別れする中で

サニーサニーガールさんだけは最後まで帰ろうとしなくて

正確には田沢湖駅までハイコースタッフのタミさんが送り届ける約束だったので

ボクらが帰らない事には帰りたくても帰れないだけだったのかも知れないけど

ずっと「この場所」から離れたくないような本当に「淋しい顔」をしていて

ボクは「淋しいの専門家」ですからね

サニーサニーガールさんの気持ちが手に取るように分かったんです

「独りぼっち」って「本当に独り」になった時に「淋しくなる」んです

「みんな」でいる時は早く「独り」になりたいのに

「みんな」でいる時こそ「独りぼっち」な気分なのに

「本当に独り」になった時に「淋しくなる」生き物で

本当は誰よりも愛されたいはずなのに「独りぼっち」なふりをして

本当は誰よりも自分だけを信じてるくせに

いつも自信がないからいつまでも「独りぼっち」で歌ってて

「ハイコーフェスが出演者の人生を変えた」なんて「物語」は

ただの自惚れで勘違いもいいところなのかも知れないけど

「独りぼっちだけど独りぼっちじゃない自分」

とうとう「独りぼっち」じゃないことに気づいてしまった「あの娘」が

「愛」を知った上で今年はどんな気持ちで歌を歌いに来てくれるのか

「その物語の続き」をもう少しだけ近くで見ていたかったからです

 

もう3回目の出演になりますからね

今更って感じの紹介になってしまいますが

1度でもこの人の歌を聴いた事があるのなら「忘れられない声」が1番の特徴ですよね

「狙ってる?」のか、「わざと?」なのか

「声が上ずったりひっくり返ったり擦れたり癖のある歌い方」で

聴く人によっては「調子っぱずれで素人みたいな不安定な歌」は

決して美声ではないのに「ある意味、神の声」とも言える

「子供とも大人とも言えない思春期みたいな独特な声」で

みんなが大好きな「恋愛の歌」をたくさんたくさん歌う人です

 

「忘れられない声」もそうですが「忘れられない歌詞」もそうですよね

サニーサニーガールさんの歌は「恋」や「愛」の歌ばかりなのに

「淋しい」ばかり出てくる「変な歌」で

まるで「大好きな人に出しそびれた手紙」を読んでるみたいに

「一方通行な想い」だけを「一方的に届けよう」としてきて

「淋しい」、「淋しい」、「淋しい」、「淋しい」、本当にそればかりです

 

とは言え、実際の歌詞には「淋しい」って言葉が「そのまま」使われる訳じゃなくて

「切ないやつ」とか「溺れていたんだ」とか

「全部忘れたよ」とか「思い出すのは飽きた」とか

「君の服の匂いが好きだ」とか「悲しくなんかならないで」とか

「楽しかったことは全部悲しみに変わり、楽しかった日々を君は忘れちゃうの?」とか

「淋しい好き」にはたまらない「キラーフレーズのオンパレード」で

伝えられなかった「淋しい」をこれでもかと畳み掛けて来て

「恋愛」って「淋しい」だけじゃない感情が他にもあるじゃないですか

「嬉しい」とか「楽しい」とか「愛しい」とか「恋しい」とか「悔しい」とか

もっといろんな複雑な感情が絡み合ってるじゃないですか

でも「その他すべての感情」も「淋しい」だけで伝えようとしてくるから

ボクみたいに「こじらせてる人」にはサニーサニーガールさんの歌がグッとくるんです

 

サニーサニーガールさんの歌って常に「片思い」で

「両思いみたいな歌」もあるんだけど

それでも「心の隅ではいつも相手を追っている」気がするんです

 

「片思い」って生きてて「1番淋しい」やつですよね

「淋しい」って「恋しい」で「愛しい」だから

それって「いつまでも大人になりたくない少年少女たち」の大好物なやつですよね

ボクは「銀杏boys」が永遠に好きなんですけど

銀杏boysの歌って「童貞パンク」なんて呼ばれたりもしてて

「サニーサニーガールさんの歌も童貞パンクだなー」って想うんです

 

「童貞心」って

不良になりきれなかったボクみたいな少年のみが知ってるはずの「青い気持ち」ですが

そこには必ず「大好きな女の子」がいるからこそ

あの「どうしようもない青さ」が成立している訳で

ボクが追いかけていた「あの時のあの女の子の理想像」みたいなのが

「サニーサニーガールさんの歌に出てくる女の子」だと想うんです

こちらの「どうしようもない気持ち」に対して

「そんな風に君も想ってくれてたら良いのに」って「こちらの勝手な願望」を

「良い意味で永遠に裏切り続けて」くれて

だからこそ「どうしようもないもやもやした感覚」が恋しくなって

ボクは今でも時々「童貞」に戻りたくなるんです

ボクの個人的な研究によれば、生きてて1番面白いのって「片思いしている時」で

あの「エネルギー」って本当に凄いですよね

「カッコ悪くて女々しくて自意識過剰でロマンティックでどうしようもない気持ち」で

なんにも出来ないんだけど、なんだって出来る気持ちになるじゃないですか

「オレ、君とセックスしたい!」って

「あの気持ち」だけでも「生きてる価値」があるじゃないですか

だからこそ「あの気持ち」とか「あのエネルギー」が時々無性に恋しくなって

そう言うのを「無性に恋しくなる気持ち」が「ボクの人生にまとわりつく淋しいの正体」のような気もしてて

なので「銀杏boysの歌」も「サニーサニーガールさんの歌」もボクにとっては同じ括りで

「なんとなく大人になってしまったボク」に

「あの時」の「あの気持ち」を思い出させてくれる「淋しくてイカ臭い変な歌」なんです

 

「文字」で説明してしまえば

なんだかあまり「良いところが無い」みたいな

なんだか本当に「変な歌」にも想えてしまうかも知れませんが

なのにどうしてあんなにも

サニーサニーガールさんの歌は「ハイコーフェス」に受け入れられたのでしょうね?

こんな風に書くとちょっと「ヤバい人」みたいに思うかも知れませんが

もし「この宇宙」にもう1人の「ボク」が存在するとしたら

「あの娘」は「ボク」で「ボク」は「あの娘」なんです

「わー、何この人!気持ち悪い!」って引いてしまうかもだけど

「そんな訳あるかい!病院行け!」って思うかもだけど

「好きだって気持ち」は「気持ち悪い事」ですよね

相手の「変」なところも「ダメ」なところも丸ごと受け入れてしまう

「はた」から見たら「ややこしくて気持ち悪い」のが「好きだ」って事ですよね

そんな風に「変な気持ち」になってしまうのが「サニーサニーガールさんの音楽」で

「サニーサニーガールさんの歌」は「ボクら」の「まぼろし」だったんです

 

これは去年も書いた事だけど

ハイコーフェスに出演して頂く皆さんの事は

全組もれなく「好き」だからこそ出演して頂いている訳で

でも例えば他の出演者のファンの前で

「ボクが1番のファンです!」とは言い切る事はできません

どんなにボクが平井さんのファンでも

どんなにボクが斎藤キャメルさんのファンでも

どんなにボクが僕のレテパシーズのファンでも

どんなにボクがJaajaの大森靖子さんの鈴木実貴子ズの

トムボウイズのアナトオルのSESAMEのKETTLESのファンだとしても

「自分よりもっとその音楽を好きな人がいる事」を自覚しているつもりで

でもサニーサニーガールさんの歌については違います

ボクはハッキリと「言い切る事」が出来るんです

ボクよりこの人の音楽を好きな人は多分いなくて

きっと世界中を探してもボク以上にこの人の歌を好きな人は見つけられない自信があって

「本当の独りぼっち」にしか分からない「本当の独りぼっちの気持ち」を歌っているから

だからこそ「勘違い」して「独り占め」したくなって

結果「あの娘はボクで、ボクはあの娘です」なんて想ってしまう訳で

さっきも書いたとおりです

去年のアーティスト物販で最もCDが売れたのがサニーサニーガールさんで

値段が安いってのもあるのかも知れないけど

まだCDを持っている人たちが少なかったのもあるかもだけど

準備してきた100枚近くがほとんど全て無くなっていて

「分かっていた事」とは言え、ボクはその売上票を見て少し淋しい気持ちにもなったんです

「ボクだけじゃなかったんだなー」ってちょっとだけ淋しい気持ちになったんです

「1番実績のないはずのサニーサニーガールさんのCD」が飛ぶように売れたのは

「ボクと同じ気持ち」で見ていた人がたくさんいたからですよね

「独りぼっち」で歌っている「あの娘」を見て

ステージの上で「自分」が歌ってるような錯覚を起こした人がたくさんいたからこそで

「あの娘の歌」はたくさんの「独りぼっちたち」の「まぼろし」だったんでしょうね

それがつまりは「あの娘はボクで、ボクはあの娘です」って感覚で

「最低な性格」で「純粋な生き方」で「独りじゃない」のに「独りぼっち」に憧れて

だからこそあんなにも無性に「あの娘の音楽」を抱きしめたくなると言うか

「これはボクだけの歌だ」なんて「勘違い」もしてしまう訳で

たくさんの「独りぼっち」が集まるハイコーフェスの中で

ある意味「究極の独りぼっち」だった「あの娘」が

ハイコーフェスで「愛」を知った上で今年はどんな気持ちでステージに立つのか

「独りぼっちなもう1人の自分」を覗き見する感覚で今年も

「独りぼっちのあの娘の物語の続き」を「独りぼっちな皆さん」と見守りたいんです

 

 

そうそう、先日発表した「今年の出演順」をご覧頂けましたか?

「大森靖子さん」→「斎藤キャメルさん」→「平井さん」の並びです

あの「考えすぎる進藤くん」が「意味無く」この順番にした訳ではありません

この人たちを「6」、「7」、「8」の「真ん中」に並べたのは

「今年のハイコーフェス」の「血」であり、「骨」であり、「魂」だからで

「永遠の反抗期」じゃないですけどね

「弾き語り」こそが「ハイコーフェスの中心だよ」って意味を込めたからで

そこに「バンド」が「肉」として乗っているイメージにしたかったからです

 

そしたら「サニーサニーガールさんはどうなの?」って思いますよね?

「弾き語りなのに真ん中で出演させないで、おまけみたいに考えてるの?」ってそう思いますよね?

でもサニーサニーガールさんを「真ん中」に置かないのにも意味があって

ボクはサニーサニーガールさんは「かさぶた」にしたいんです

 

「血」、「骨」、「魂」、「肉」に比べて

「かさぶた」って言葉的にはあんまり良いイメージがしませんよね

「せめて内臓にしてよー!」とか

「せめて皮にしてよー!」とか思っちゃいますよね

でも「かさぶた」がなかったら「ヒリヒリ」したり「ジュクジュク」したり

「傷口」がいつまでも「痛いまま」で

「ハイコーフェス」って最初から最後まで全部見終わると「痛い」じゃないですか?

「心に傷」ができたみたいになんかずっと残るじゃないですか?

何日も何日も傷口が痛むみたいに「心の奥」がチクチクして

「傷口」って見えたままだとずっと気になっちゃうし

どうにか早く「かさぶた」で隠してしまいたいですよね

「ハイコーフェスを思い出してばかりの生活」ではちっとも前に進めないし

いつまでもそんな気持ちで生活するのは「日常」に失礼な気がするんです

 

ボクは「淋しい」って「かさぶた」だと想うんです

「かさぶた」って便利ですよね、剥がすと「まだ痛い」はずなのに

「かさぶた」があると、なんかちょっと「大丈夫」な気もしてきて

「淋しいな」って想うことでこれ以上思い出さないように

知らないうちに「思い出」を閉じ込めてる気がして

そんな感じにハイコーフェスも「非日常」から「日常」に戻っていくんだと想うんです

でも、どんなに「ハイコーフェスを忘れた風」に生活してても

「かさぶた」があるからこそ忘れないんだと想うんです

無理に「思い出さない」代わりに「忘れない」気がするんです

ちょっと何言ってんのか自分でも分かんないですけどね

とにかくボクは「かさぶた」を剥がして今年もハイコーフェスを始めたいんです

 

ハイコーフェスはどんどん「派手」になっていますからね

「せっかくだからバンドが見たいよね!」

「弾き語りが多いと物足りなくないですか?」

そんな声がある事はボクの耳にも届いています

もう8回目ですからね

「続く」って事は「見る側」も「欲張り」になりますからね

せっかくの「夢みたいな1日」なんだから

年々過剰に「派手さ」を求めてしまうのは当然の事なのかも知れません

 

今年は「弾き語り」が「4組」です

「平井さん」に「斎藤キャメルさん」に「大森靖子さん」に「サニーサニーガールさん」

出演者の3割以上が「弾き語り」になる訳です

確かに「弾き語り」は「派手じゃない」し

「ギター」と「歌」があるだけで実に「シンプル」で

でも「見た目的」には「地味」かも知れないけど肝心の「中身」の方はどうなんでしょう?

「平井さん」の「弾き語り」なんか「バンド以上にバンド」だし

「斎藤キャメルさん」の「弾き語り」なんか「至高」だし

「大森靖子さん」の「弾き語り」なんか「それこそ真骨頂」な訳で

「弾き語り」で出演している出演者こそが

「ハイコーフェスの顔」であることはわざわざここに書くまでもありませんよね

サニーサニーガールさんの「弾き語り」がハイコーフェスに必要なのは

サニーサニーガールさんが「普通の女の子」だからで

ボクはあの「普通っぽさ」こそが「ハイコーフェスの始まり」だと去年で確信したんです

変な緊張感が会場中に漂って、見ている人もどう見たら良いのか分からない雰囲気のまま

「普通の女の子」が「普通に登場」して「普通に歌い出す」あの瞬間は

まるで「日常と非日常の切り替えスイッチ」みたい感じで

「普通の女の子」だったはずの「あの娘」が

なんだか急に「特別な女の子」に見えてしまって

「奇跡」って目で見えるものかは分からないけど

古傷が急に痛み出すみたいに胸がギューって締め付けられて

「あー、この感じがハイコーフェスだったなー」って

「これがハイコーフェスの奇跡だったんだなー」って

走馬灯みたいにハイコーフェスを思い出すんです

 

なので、サニーサニーガールさんが「独りぼっち」でステージに立つ姿は

お世辞にも「派手」とは言えないかもだけど

「それ」を「ハイコーフェスの始まり」にしたいんです

まだサニーサニーガールさんの歌に出会ってない人や

そもそもハイコーフェスに来るのが初めてって人もいると思いますが

あの瞬間こそが「最もハイコーフェスを愛おしく想える時間」だとボクは信じてるので

「始まり」って「終わり」だから

ボクはいつも「ハイコーフェスの始まり」が1番淋しいから

「ハイコーフェスの始まり」に今年も「サニーサニーの淋しい歌」が響き渡るんだから

もうそれだけで「ボクのハイコーフェスは終わった」も同然で

あの日あの場所で歌われる「1番淋しい歌」を聴いて

「思い出さないようにしていたあの痛み」から今年もハイコーフェスを始めましょうね

 

なので今年も本当にお願いです

「時間が早すぎるよ!」なんて言わないで

「ハイコーフェスには行くからもう少し寝かせてよ!」なんてを言わないで

絶対遅刻せずに9時20分までには体育館に集合してください

早朝9時30分から始まるクライマックス

愛しくて愛しくて涙が出ちゃうくらいの「本当の意味での淋しいヤツ」

「バンドが見たい人」も遅刻せずに来てくださいね

「バンド」じゃないかも知れないけど

「バンド」より良いもの見せてあげますからね

今年は「ある意味」サニーサニーガールさんの歌う最後の曲が「フェイナーレ」になります

 

「始まったら終わる」のに

わざわざ「1番淋しいのから始めなきゃいけない」この気持ちは

きっと「あの娘」にしか分かってもらえない

「ボクの大好きなハイコーフェス」で

ボクがハイコーフェスに残した「たった1つの功績」は

他の何でもなく、サニーサニーガールを発見したことで

まだ始まってもいないのにボクはもうすでに淋しいのは

もうすぐ「かさぶた」が剥がれ落ちてしまうからだと想います

 

「淋しさ」のなかに、淋しさ以外の世界のぜんぶが見えます

 

サニーサニーガールの「淋しい歌」は、きっとそんな「変な歌」です

サニーサニーガールの「変な歌」は、たくさんの「ボク」の「まぼろしの歌」なんです