2016年

9月

15日

【ボクが大好きな齋藤キャメルについて」

【ボクが大好きな齋藤キャメルについて】

 

ハイコーフェスまで残り1週間となりましたね

「早いなー、もう来週なんですねー」って

いつにも増して今年は不思議とみんな実感がないみたいで

もう直ぐ全部終わってしまうかと思うと

ちょっとだけ哀しい気分になってしまいます

 告知開始から3ヶ月は本当にあっという間でいろいろやったつもりです

にも関わらず、まだまだ前売りチケットが完売出来ないのは

やっぱりボクのやり方が悪かったのかなーと反省してしまいます

とは言え、まだまだボクは諦め切れません

ボクはまだ全然諦めていませんよ

まだまだハイコーフェスってこんなもんじゃないから

「もう良いでしょ!」みたいな、「十分頑張ったよ!」みたいな

「慰め」も「同情」もまだ全然早いです

「成し遂げてない」ので、まだ全然これからなので

残り1週間しかないけど、前売り予約の締切までは5日しかないけど

それでも1人でも多くの皆さんに集まってもらえるようにやるきゃないので

「ハイコーフェスを終わりにしたくない!」

「ハイコーフェスを愛してる!」って方にも最後まで諦めて欲しくないんです

なんとなく「成し遂げた」みたい風潮はまだ早いです

ここを懲りずに読んでくれてるような人って

きっとそんな「想い」の人だけだと思うから

友達でも身内でも1人で全然良いので、ぜひ声だけでも掛けてもらいたいんです

連れてこれなくても良いです、ハイコーフェスを信じてもらえなくても良いです

でも、諦めた時に気持ちは切れるし、諦めた時に心は離れてしまうので

ハイコーフェスを愛してくれる皆さんにも最後まで諦めないで欲しいんです

集客なんて来てくれる皆さんにとっては「関係ない話」かも知れないけど

でも「奇跡が起きないハイコーフェス」なんて「みんなが好きなハイコーフェス」じゃないんです

どうか最後までハイコーフェスを愛してください、本当に心からのお願いです

最後の最後の1週間、皆さんも引き続き、どうかハイコーフェスを想ってくださいね

自分が信じられないものを誰かに信じてくださいなんて可笑しいので

ハイコーフェスの『たかが音楽の力』を信じ抜いて下さいね

大丈夫、まだ絶対どうにでも出来ます

 

そんな訳で「特にお前が頑張れよ!」ってそのとおりですね

出演者紹介も残すところあと2組です

出演者紹介9組目は

「遅れてきた1人ぼっちのみんなのハイコーフェス」が

今年も「神聖な風」をハイコーフェスに届けます!

通算5回目の出演は「永遠のボクのカリスマ」です!

「齋藤キャメルさん」の登場です!

 

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【ボクが大好きな齋藤キャメルについて】

 

「進藤ちゃん、福岡からおはよう。

変わらず楽しそうにしてるみたいだね。

ハイコーフェスの出演依頼ありがとう。

もちろん会いに行くよ。

飛行機と新幹線を乗り継いでね。

心が駆り立てられるならやったらいいんだよ。

梢ちゃんが良いよと言ってくれる限り。

また何か分かるから。ありがとう。」

 

これが告知の3日前に「齋藤キャメルさん」から届いたメールです

「日本でいちばんイカした祭りを全霊をもって弔おう。

くだらなくて、気持ちよくて、全てが報われる1日になりますように。」

 そんな「想い」で「ハイコーフェスを弔ってもらった」はずなのに

ボクは今年もハイコーフェスを続ける事にして

最後の最後に「齋藤キャメルさん」に出演依頼を出したんです

「最後はやっぱり齋藤キャメルさん」

「ボクのハイコーフェス」の中でいつも呪文のように唱えた言葉があったけど

今年もやっぱり「最後はやっぱり齋藤キャメルさん」で

ちょっと言い訳みたいになってしまいますが読んでくださいね

これが「ボク」と「齋藤キャメルさん」の、「ボクと君のハイコーフェス」の話です

 

「進藤ちゃんとはまたどこかで会える気がするけど、

ハイコーフェスのみんなとはこれで最後な気がするなー」

去年のハイコーフェスの翌日に齋藤キャメルさんはそんな言葉を残してくれて

ボクは「ハイコーフェスのWATER WATER CAMEL」の最後の背中を見送りました

「最後だったんだなー」と想うとどんどん悲しくなって

自分のせいじゃないけど、「自分のせい」みたいな気にもなって

悲しくて申し訳なくて、ボクは「その事」に「罪」を感じました

なので、春の時点では「齋藤キャメルさん」に出演依頼を出す事は出来ませんでした

「ボク」と「齋藤キャメルさん」の「ボクと君のハイコーフェス」は

「去年で全て終わり」のはずだったんです

 

3月、皆さんもご存知のとおりです

「WATER WATER CAMEL」は活動休止を発表しました

ボクはその事を去年のハイコーフェスの時に聞かされて

「進藤ちゃん、まだ誰にも言わないで欲しいんだけど、

キャメル活動休止するから、ハイコーフェスも終わるし、ちょうど良いタイミングだった」

それは「須藤さん」の「ハイコーフェスへの最大の賛美」だったのかも知れないし

ただの「お世辞」だったのかも知れないけど

ライブを終えた後に「須藤さん」がそんな風に声を掛けてきてくれて

「進藤ちゃん、今日は梢ちゃんとちゃんと二人で並んで見てよ」

ライブ前に「しつこい」くらいに「齋藤キャメルさん」がボクに言ってきた言葉の意味を

最後の曲の「運命のアラサー」で見せてくれた「いつもと違うキャメル」

ボクの知っている「いつものキャメル」とは違う「全身全霊の吠えるキャメル」を見せてくれた

その「本当の意味」をボクはその時初めて知りました

「ハイコーフェスを弔いたい」

もしかしたらそこには「ハイコーフェスのWATER WATER CAMELを弔いたい」

そんな意味も隠れていた気がして

「唖然」とか「呆然」とか「愕然」とか言い方はたくさんあるけど

「最後だったんだ」

ボクは「それ」が、ただ淋しくて淋しくて

時間と共に「淋しい」が「悲しい」に変わって、自分のした事に「虚しさ」すら覚えました

「キャメルが活動休止を決めた1つの理由」に

「ハイコーフェスの終わり」が関わっているような気がして

「そんな簡単な話じゃないよ!」

「ハイコーフェスなんか活動休止の理由になるほどの事じゃない!」

「考えすぎ!自意識過剰!」って

そんな事はボクが誰よりも分かっているつもりです

それでもボクは「罪のようなもの」を感じてしまったんです

ほんの少しでも「キャメルの決断」の「背中」を押してしまった気がして

ボクはそれに「罪のようなもの」を感じてしまったんです

「申し訳なさ」と「謝りたい」気持ち

「言葉にできないモヤモヤ」でボクはずっと心が痛いままでした

 

春の出演者を決める会議の時に

澁谷くんと近江くんにその事を全て話しました

すでに活動休止は発表している訳で

「WATER WATER CAMEL」としての出演は出来ない事は分かった上で

「齋藤キャメルさんソロ」で出演依頼を出すかどうか

きっと「キャメルは活動休止中だから」って理由で

仮に今年の出演者の中に「齋藤キャメルさん」の名前が入っていなくても

きっと「みんな」は納得していたと思います

どんなにボクが「ハイコーフェスが続く限り、平井さんとキャメルには出演依頼を出す」と言っていても

活動休止となればそれは「仕方がない事」だから

誰も「それ」を不思議に思わないと言うか、諦めて当然みたいな感じもあったと思うし

それに、今ボクがここに書いた様な話を聞いたら

誰だって「出演依頼を出すべきじゃない」と考えるのが「普通」だと思います

「キャメル」はハイコーフェスにきちんと「線を引いた」んです

それを簡単に踏み越えようとするのはその「想い」を「冒涜」するようなもので

「ハイコーフェスを弔ってもらった」はずなのに

その「約束」をまんまと破ってハイコーフェスを続ける事にして

きっとキャメルも「終わり」と決めて臨んだはずだったんだから「終わらない」のは裏切りで

「キャメルのためにもハイコーフェスを続けたらいけない」みたいなのが少なからずボクにはあって

あの日、ボクら3人が出した結論は

「WATER WATER CAMELのためにも、齋藤キャメルさんに出演依頼するべきではない」

「齋藤キャメルさんは来てくれるかも知れないけど、玄さんと須藤さんはどう思うだろう?」

「キャメルは線を引いたんだよ」、「それがケジメのつけ方だよ」

そんな話をして3人で納得もしました

そんな理由もあり「齋藤キャメルさん」には出演依頼を出しませんでした

「出しませんでした」と言うか、「出せませんでした」と言うのが本音なのかも知れません

それがきっとボクの事を「たいせつな友人」と言ってくれた

「齋藤キャメルさんの好きなハイコーフェスの進藤ちゃん」な気がして

「ボクは進藤ちゃんの陰鬱なところが好きです」なんて言ってくれたのは「齋藤キャメルさん」だけだから

だから、なんて言ったら良いのか、それなりの「罰」を受けなくてはいけないと思ったんです

「齋藤キャメルさんをハイコーフェスに呼んではいけない」みたいな

自分なりの大きな十字架を背負わなくてはいけない気がしていたんです

それが「ボクの償い」のような気がしていて

ずっとずっとボクは「本当の気持ち」を言えずに想いとどまっていた気がします

 

次々に出演交渉は進んで、どんどん出演者が決まっていきました

出演者が出揃ったところで「ポスターの作成」や「予告編動画の撮影」なども進み

6/15に告知を解禁する段取りで次々に今年のハイコーフェスの形が出来上がっていきました

途中、出演予定だった「ゆゆん」の「活動休止」が決まり、出演枠に1組空きが出ましたが

それでもボクは「齋藤キャメルさん」にだけは出演依頼を出せませんでした

その間に2組のバンドに出演依頼を出しましたが、いづれもスケジュールが合わずで

「もう告知まで時間がないし、残念だけど仕方ないよ」

このまま8組で今年のハイコーフェスを開催するしかない

それが告知三日前のボクの心境でした

 

「いい加減、最終決断をしなくちゃね、君が決めなきゃ誰も決めてくれないよ」

「ハイコーフェスの進藤くん」に言い聞かせるように何度も何度も心の中でつぶやきました

その日、ボクは朝から「WATER WATER CAMEL」のCDばかりを聴きました

年に何度か「WATER WATER CAMEL」のCDしか聴けない日があって

「齋藤キャメルさん」の歌しか体が受け付けない日があって

その日はまさにそんな気分だった気がします

「全てを受け止めて、全てを抱きしめて、全てを許してくれる」

それが「ボクの大好きなWATER WATER CAMELの音楽」で

心が「ザワザワ」している時は決まって、ボクは「キャメルの音楽」に心を預けるんです

「穏やか」である事と言うのが「本当になりたい自分」と一番近い気がして

そんな時は決まって「キャメルの音楽」が必要になるんです

「音楽に救われる」って齋藤キャメルさんの名言にもあるように

ボクは何度も「キャメルの音楽」に救われていて

1番辛い時にキャメルの音楽に触れただけでちょっと気持ちが楽になって

去年も一昨年もその前もそのその前も

ハイコーフェスが続く限りいつだってボクは「キャメルの音楽」に救われてきました

大切な人を傷つけた時、大切な人を泣かせた夜

自分に嫌気が刺した時、自分に絶望した夜も

ボクは救ってくれたのはいつも「キャメルの音楽」で

この日もボクは1日中、「キャメルの音楽」に心を預けました

 

「ハイコーフェスが始まるんだよ、

キャメルの音楽が必要になる時がきっと来るよ?

キャメルの音楽が無くて君は本当に大丈夫なの?

齋藤キャメルさんに救いを求める日が必ず来るんだよ?

本当に良いの?本当に大丈夫なの?」

穏やかでやさしい歌を聴きながらボクはずっと自問自答を繰り返しました

 

その日、ボクは「family」と言う曲を繰り返し、繰り返しで聴いていました

「family」は題名のとおりで、つまりは「家族」の事をテーマに歌っている歌なんだけど

ボクにはその時どうしてか「齋藤キャメルさん」が「ボクの事を全部許してくれる歌」にも聴こえて

全ての人が「ボク」と「君」である以上、相手の全てを理解し合う事はありえない訳で

「ボクのハイコーフェス」と「齋藤キャメルさんのボクのハイコーフェス」の間にだって

いろんな「想い」があるからこそ「分かって欲しい部分」と「分かり合えない部分」がある訳で

でも、この歌の歌詞にあるような事を「ボクの大好きな齋藤キャメルさん」はずっと想ってくれていて

「想ってくれていたような気」がしてボクは

いつもいつもハイコーフェスの事を許してもらってばかりだったから

「お前の仮面を剥がしてやりたいが、お前はそんな事望んではいまい」って

「それが私のして良い事なのか、情けないお前を本当に私は救ってやれるのか」って

「たまには茶でもどうかと、幾度も声をかけようとしたが」って

でも、最後には懲りずに「我が家のドアは大体開けておく、 鍵はかけずに大体は開けておく」って

「全てを受け入れて、全てを包み込んで、全てを許してくれる」

どんなにボクが情けなくても最後には、「齋藤キャメルさん」は全てを許してくれて

もしかしたら今年もハイコーフェスに出演する事も喜んでくれるんじゃないかと

全部「妄想」で全部「想像」だったのかも知れないけど

そんな風に想えるくらいの「何か」が「ボク」と「齋藤キャメルさん」の間には「あった」ような気がして

多分、「そんな風に想い込みたい」だけだったんでしょうが

でも最後の最後に「ボク」と「齋藤キャメルさん」の「ボクと君のハイコーフェス」に賭けてみたかったんです

「今更失礼だ!」とか、「もう遅い!」とか、「最初からじゃないのはフェアじゃない!」とか

「それじゃあ、何のために最初にキャメルに線を引いたの?」とか

「言ってることがまるで逆さまだよ!」とか

そんな「自分で蒔いた呼んじゃいけない理由の種」が

全てどうでもよくなるくらいに、全部踏みつけたくたくなるくらいに

ハイコーフェスにはやっぱり「齋藤キャメルさん」が「ただ必要」で

「ただ居て欲しかった」、「ただ歌って欲しかった」んです

その夜遅くにボクは「齋藤キャメルさん」に出演依頼のメールをしました

「最後はやっぱり齋藤キャメルさん」

それがボクが導き出したやっぱり最後の答えだった気がします

布団に入る前にこーちゃんに言いました

「齋藤キャメルさんに出演依頼出したからね」

半分寝ていたこーちゃんは「良いと思う」とだけ言ってくれました

布団に入りながらボクは何度も何度も思いました

「全部許して欲しい」

その日はなかなか眠れずで夜中に何度もパソコンのメールを確認しました

何度見ても「返事」はなくて、「そりゃあそうだよ、そんなに簡単に決めれないよな」って

自分がいかに愚かで自分勝手な行動をしているのか

ボクはもう1つ「あたらしい十字架」を背負う覚悟でもう1度布団に潜り込みました

翌朝、メールを確認すると、一番初めに書いた内容のメールが届いていました

ハイコーフェスにまた1つ「奇跡」が重なった瞬間で

「誰にも分かって欲しくない、分かってたまるかって気持ち」で胸が一杯でした

ボクが「勝手に背負っていた十字架」は

「齋藤キャメルさん」が自らの手で1つ残らず外してくれたんです

 

「齋藤キャメルさんがいれば大丈夫だよ」

「齋藤キャメルさんがいれば大丈夫だ」

「齋藤キャメルさんがいなきゃ君が潰れてたよ」

「私は本当に本当に嬉しいです」

「身震いしました、本当に嬉しいです」

その日、ボクもこーちゃんも近江くんも澁谷くんもカオちゃんもタミさんもサワちゃんも

「みんな」口々にそんな風に言い合いました

ずっと長い間、「みんなのハイコーフェス」の「核」になっていたのは

他の誰でもなくやっぱり「キャメルの存在」だったし

紛れもなくその中心にいたのが「齋藤キャメルさん」その人だったから

「齋藤くんの出演でグッと愛の色が濃くなったね」

平井さんもそんな風に祝福のメールを送って来てくれたんだから

誰かが「穴埋め」できる存在でもなく

誰かが「代わり」になれる存在でもなく

ハイコーフェスにとっての「齋藤キャメルさんの存在」って

つまりは「そう言う事」だったのでしょうね

それぞれの持ち場で「齋藤キャメルさん出演」での告知に向けて

急ピッチで差し替え作業が始まりました

本当に時間はなかったけど、でも「みんな」本当に嬉しそうに作業を進めてくれて

「好きな人のために何かをしてあげたい」

「好きな人を喜ばせてあげたい」

「好きな音楽を自分以外の誰かにも好きになって欲しい」

「たかが音楽の力を信じたい」

「たかが音楽に救われたい」

「あなたも私もない世界があれば良い」

それがきっと「ボクと君とみんなのハイコーフェス」だったはずで

あの時の「団結」した感じや「みんな」が「それに夢中になる」感じ

「あの感じ」が久し振りでボクはそれが本当に嬉しかったんです

本当に久し振りに「みんなでハイコーフェスをやっている気分」になれた気がして

そんな事は「齋藤キャメルさんの音楽」とは一切関係のない話なのかも知れないけど

でも些か「関係なくもない話」のような気もして

「齋藤キャメルさん」がいるだけで「ハイコーフェス」に「心地良い風」が吹くんだから

ハイコーフェスを愛する誰もが「偏った愛情」を最も感じる瞬間なんだから

この人がいないと「みんなのハイコーフェス」には決してなれないから

つまりはそれが「ボクの大好きな齋藤キャメルさん」な気がしました

「齋藤キャメルさん」がいないと決して「1つ」になんかなれないんです

 

去年のハイコーフェスが終わった後に

「齋藤キャメルさん」はこんな事をボクに言いました

「なんか、ちょっともう違うでしょ?」

「進藤ちゃんの求めてるのと、オレらちょっと違うでしょ?」

ハイコーフェスの雰囲気が年々変わっていく中で

それが「齋藤キャメルさん」が感じた「ハイコーフェスの変化」だったのでしょう

「生きの良いバンド」や「激しいバンド」

「賑やかなバンド」や「派手さのあるバンド」

それが「パンクロック」だったり、「ロックンロール」だったりして

どんどん変わっていくハイコーフェスを眺めながら

「齋藤キャメルさん」なりの「想い」があったんだと思います

「進藤ちゃんは無理してないだろうか?」

「進藤ちゃんが呼びたいのは自分たちではないんじゃないだろうか?」

「自分たちはハイコーフェスから身を引いた方が良いんじゃないだろうか?」

「齋藤キャメルさん」の真意は分かりませんが、ボクはそんな風に受け止めました

「ボクのカリスマ」が随分と弱気でそんな話を聞いたのは出会ってから初めてでした

その時の「齋藤キャメルさん」が少しだけ「寂しそう」にも見えたんです

 

皆さんももしかしたらそんな風に思っていたのかも知れないので

今日ここにちゃんと書き残しておきますね

永久不滅のボクの名言です

「キャメルみたいなバンドをハイコーフェスに期待しても無駄です、

キャメルみたいなバンドはキャメルを超えないから、

キャメルみたいなバンドはキャメル以外呼ばない事にしたんです」

 

「静かでロマンチックで美しくて心地よくて心を預けたくなる音楽」

数ある「キャメルみたいなバンド」がある中で

それでもボクが「キャメルの音楽じゃないと満足できない理由」があって

「齋藤キャメルさん」の作る音楽は「綺麗事」じゃないんです

「やさしい」とか「穏やか」とか「ありがとう」とかそれだけじゃないんです

「やさしくてうんざりしてて、穏やかで諦めてて、ありがとうとごめんなさいの丘に立っている音楽」なので

なんて言うか「無常」みたいな「不条理」みたいなのが見え隠れしてて

だからこそどんなに美しい言葉が並んでも全然安っぽくなくて

「そこ」にむしろ「説得力」があるからこそ、ボクの心にもたくさんの人の心に響いている気がします

「齋藤キャメルさん」って「何か」に「絶望した事」がある人なんじゃないかと思うんです

「絶望した人」にしか辿り着けない境地の果ての「悟り」を歌詞にしている気がするんです

そうじゃなきゃ「いつも笑顔を忘れずに」なんて歌えないし

「これからもウンザリからちゃんと逃げ切ってみせるわ」なんて歌えないし

「おまえがこのまま寂しい思いをして生きてゆきはしまいかとても心配で」なんて歌えないし

「大笑いして眠りたい」なんて歌えないし

誰にでも当てはまる「当たり前のことだけど当たり前にできない事」をわざわざ歌にして

ボクはいつも「斎藤キャメルさん自身」が「何か」から許されようとして歌っているんじゃないかと

勝手にあれこれ心配してしまうほどに心に響くんです

一度、絶望した事がある人にだけ歌う事が許された「哀しくも安心できる不思議な感覚の歌」

それが「齋藤キャメルさん」が「ボクのカリスマ」たる由縁で

皆さんがもしかして勘違いしてるかも知れないので「コレ」も書いておきますね

勘違いされたままだとちょっと困るんです

ボクは「齋藤キャメルさん」こそが「最大の狂気」だと想っていて

だって、あんなにも「静けさ」と向き合った音楽を作っているんですよ

「大きな声」で歌ったり、「大きな音」でかき鳴らしたり

「圧力」や「迫力」で、「キツい眼」で「激しい動き」で

そんな風に「狂気」を見せる方が実は簡単な気がするんです

でも「静けさ」って怖いですよね

ライブ中に「間」とか「沈黙」を作る事は何より勇気のいる事ですよね

そんな「静けさ」や「間」を自由自在に使いこなしているのが「齋藤キャメルさん」で

今年はさらに「1人ぼっちの齋藤キャメルさん」ですからね

さらに緩急の効いた「緊張と緩和」が味わえる気がするんです

怖いですねー、怖すぎますねー、「静けさは最大の狂気」なんですよ

声を張り上げるでもなく、ステージを走り回るでもなく、ただ淡々と歌うんです

ボクにはその姿が誰よりも「ロック」に想えて

最近のハイコーフェスは「ロックバンド」が増えてきたなんて印象は大間違いで

ハイコーフェスは昔から「ロックバンドだらけ」なんです

「ボクのカリスマ」は「最強」だから「爆音」になんか負けないんです

「世界で1番静かなロックンロール」を歌ってくれるので皆さん覚悟してくださいね

ボクは「夕暮れ」に座って眺める「世界で1番静かなロックンロール」が本当に大好きで

「安心」って言うと「ドキドキしてない」みたいで良くも悪くも捉えられちゃうかもだけど

ハイコーフェスの1日の中で「齋藤キャメルさん」と「平井さん」が並ぶ

いわゆる「ハイコーフェスの恒例の流れ」みたいなのが何より「安心」出来る時間で

「あの時間帯のあの流れ」がボクの中では「スペシャル」です

「あの時間」だけは「主催者」って事を忘れて「ただ普通に楽しい」だけなんです

ボクが「ホッ」としたらダメなんでしょうが

でも「不安」が1つもなくて本当に「ただ面白い」だけなんです

もしかしたら「あの時間」のために「ハイコーフェスをやっている」くらいに「あの時間」が大好きで

「あの時間」を作れるのも「あの時間」にステージの上にいて欲しい人も

それは他の誰でもなく「齋藤キャメルさん」だから

「ハイコーフェス」って「世界で1番面白い1日の中」で

「齋藤キャメルさん」の「この夏、1番静かなロックンロール」がどんな役割をするのか

「夕暮れの齋藤キャメルさん」がどれだけの「破壊力」があるのか今年も証明して見せますからね

「ロマンチック舐めんなよ!!」って、「静けさ舐めんなよ!」って

だって「それ」がボクの1番好きな音楽なんだから

「ボクのカリスマ」にはいつだって「永遠のカリスマ」でいて欲しいんです

 

「ハイコーフェス」への「重なりすぎた想い」を1度「ゼロ」に戻してくれたのが

「WATER WATER CAMEL」の「弔いのステージ」だったから

今年はもう1度「ゼロ」から「齋藤キャメルさん」の「音楽」に向き合えますね

皆心にスーっと風が吹き抜ける感覚があったなら

それが「神聖な気持ち」に近づいた証拠です

「神聖な気持ち」に近づいたなら、あなたの「大事な人」を想ってくださいね

 大事な人と並んで見ると尚良いし、でも1人で見たって大丈夫です

「齋藤キャメルさん」があなたにちゃんと寄り添ってくれるから安心して見てくださいね

だって今年は「1人ぼっちの齋藤キャメルさん」が「みんな」に会いに来てくれたんだから

「みんなのハイコーフェス」で

「君の存在を1番感じさせてくれる音楽」で

「本当に大切な人と並んで眺めたい音楽」で

「本当に大切な事に気付かせてくれる音楽」で

「本当の自分と向き合わせてくれる音楽」で

「とびきりやさしくて、とびきりうんざりで、とびきり穏やかで、とびきり諦めている」

「ありがとうとごめんなさいの丘に立っている世界で1番静かなロックンロール」

ボクが今年、今日まで「本当の自分」を見失わなかったのも

いつもより少しくらい「君」にやさしくできたのも

きっと「齋藤キャメルさん」が今年もハイコーフェスにいてくれたからで

「齋藤キャメルさん」は何より「君のハイコーフェス」を大切に想ってくれてるから

「君のハイコーフェス」を誰よりも分かってくれているから

だからボクは「齋藤キャメルさん」がいてくれて本当に嬉しいし

「齋藤キャメルさん」がいないと「ボクと君のハイコーフェス」は完成しないから

最後の最後に吹いた「神風」

「齋藤キャメルさん」が今年も「ハイコーフェスに奇跡」を吹かせてくれたんだから

「世界一心地良い風」に皆さんも「心」を預けてみてくださいね

 

「安心と信頼の齋藤キャメルさん」だから

今日はこれ以上ボクが長々書く必要がないですね

「みんな」に好きになって欲しくて「自信」がなくてバカみたいに長々と書いてきましたが

もうすっかり「みんな」が「あなた」の事を「愛しています」から

もうすっかり「みんな」が「あなた」の事を「信じています」から

どうか今年も「みんな」を「救ってください」ね

「ボク」と「君」を「救って」、「ボク」を「許して欲しい」です

 

大好きな「君」が笑って

大好きな「みんな」が笑って

それでようやく「ボク」も笑えるから

大好きな「君」が笑う顔を想い浮かべた時も

大好きな「みんな」が笑う顔を想い浮かべた時も

大嫌いな「ボク」が笑う顔を想い浮かべた時も

その時、ステージの上にいるのは決まって「齋藤キャメルさん」だから

面白いから笑うのとはちょっと違うけど幸せだから笑うんです

「本当に幸せな時間」は知らない間にみんな笑っちゃうんです

「齋藤キャメルさん」に会えただけで

「ボク」も「君」も「みんな」もその日世界で1番イカした笑顔で笑えるんだから

「ハイコーフェスに興味ない」って皆さんも一緒に笑ってみたくないですか?

「音楽に救われたい人」は

ボクと一緒に魔法の呪文を唱えてみてくださいね

声に出しても心の中で唱えてもオッケーです

「いつも笑顔を忘れずに」

何だって、ハイコーフェスだって、きっとそうなんです

「あなたの夢みたいな世界」は「そんなつまらないこと」から始まります

 

「永遠のボクのカリスマ」の登場です

大好き過ぎて、もう言葉なんかいらないけど

 「憂鬱なボク」を「うっとおしいボク」をいつも許してくれてありがとう

 

「ハイコーフェスの終わりまで付き合いたい」

 

それが「ボク」と「齋藤キャメルさん」の、「ボク」と「君」のたった1つの「約束」です