【ボクが大好きなPLUTATA&ジャイアントステップスについて】

【ボクが大好きなPLUTATA+ジャイアントステップスについて】

 

「9月」に入った途端にハイコースタッフのみんながソワソワし始めて

入れ替わり立ち代りでゴマシオまでボクの様子を伺いに来てくれて面白いです

大抵決まって「顔疲れてますね!」って

「顔死んでますね!」って心配されてますが

「大丈夫、まだ死んでないよ」って

何があってもどんな風でもあと2週間で全部終わっちゃうんだから

本当に「呆気ないボクら」ですね

 

連日遅くまで紹介文を書いたり起きてたりが祟ってか

ここ何日も夜更かしの度に決まって猛烈な吐き気に襲わて

「いよいよオレも歳を取ったなー」って弱気になっちゃいますね

「もっと無敵だったのになー」って

「気力最強だったのになー」って

こーちゃんにそんな風に愚痴をこぼしたら

「何バカな事言ってんの?」

「君より気力ある人、あんまり見た事ないんだけど」って

違う方向からガツンと励ましてもらえた気がしたので

最後まで「自信」を持っていきたいですね

 

もうすでにいろんな想いが入り乱れて胸が一杯で

ザワザワ、ザワザワした感じです

相変わらず涙は出ないんだけど

「きっとこのザワついてる感じが泣きたいって事なんだだろうなー」って

本当ならば「一人になってさみしいな」って言いたいところだけど

兎にも角にも毎日やるしかないですからね

「1人ぼっちだけど1人ぼっちじゃない」からやるしかないですね

今日で前売り予約数が216人になったので、前売り完売まで残り34人です

「どうしても給食が食べたい!」って方はそろそろ危うくなって来ましたので

「予約はお早めにどうぞ」です

9月に入ってからググっと攻めてはいますが

開催日が近づくに連れてチケットのキャンセルが多くなるのが常で

今日も2人キャンセルが出ちゃって期待していた様には数字が伸びてきませんね

とは言え、「無謀」こそが「ハイコーフェスの持ち味」ですからね

「無謀」こそが「奇跡」を呼ぶ事をボクは知っているので

「後戻りできなくなった悪ふざけ」の「たいへんよくなんかできません」の

「ボクと君のハイコーフェス」の真骨頂の見せどころですから

ここから「入場制限」の300人まで鬼の巻き返しでいきますね

 

本当はもう「何」も残ってなくて

スカスカでカスカスなのかも知れませんが「ボク」も「君も」

それでも燃え尽きても何してでも

どうにかして1人でも多くの人にハイコーフェスに来てもらいたくて

「何」がやりたかった訳ではないんです

「何」になりたかった訳でもないんです

ただボクはハイコーフェスを成し遂げたくて

最近はずっと「成し遂げたい」ばかり想っています

きっと成し遂げられるから

成し遂げられたら「何か」答えが見つかるから

最後まで成し遂げるので見ててくださいね

絶対やってやるので見ててください

そんな訳で残り二週間は燃えに燃えまくっていきますよ!

熱くなりすぎない様に押さえつけていた「箍(たが)」を外す時ですね

 

出演者紹介7組目は「進藤くん、元気にしとる?」って

この人たちもハイコーフェスを諦めていなかったのかも知れませんね

「どこまでも加速する存在感」で「なくてはならない存在」です

賑やかで怖いお面のあの人たちが今年もどデカい人形集団を引き連れてびっくり仰天大行進!

「jaaja」と通算すると4回目の出演は

「PLUTATA+ジャイアントステップス」の登場です!

 

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【ボクが大好きなPLUTATA+ジャイアントステップスについて】

 

「ハイコーフェスでライブが始まる寸前だというのに

ギターの弦に子供用の縄跳びが絡まってしまっている

体育館は紅白の幕や手作りの花飾りで彩られ

縄跳びは蛍光ピンクで運動場の細かい砂埃の懐かしい匂いがする

縄跳びをほどきイントロを弾き始めると

入り口から整列した小学生たちが

カレーを持って行進して入場してきた

僕らのライブは時間の都合で中止になったらしい」

 

これが去年の「ハイコー卒業写真集」の「帯」に書かれた言葉です

「帯の文書」を書いてもらうのは

その年の「ハイコーフェスの顔」とも言える方に書いてもらっていて

過去には「斎藤キャメルさん」、「平井さん」、「古宮くん」

「大森靖子さん」そして「ボク」が書いていて(ボクだって昔はハイコーフェスの顔でしたよ)

去年ボクが「この人に書いてもらいたいなー」と想ってお願いしたのが

他でもない「プルタタのゆーにゃんさん」でした

「白と黒の表紙」に「何か」を察した人もいたかもですが

「それ」はまさに「葬式」をイメージしたもので

「ハイコーフェスの終わり」をボクは「ゆーにゃんさんの言葉」に託しました

送られてきた「この文章」を何度も読んだけど正直ボクはあまりピンときませんでした

「プルタタの歌詞」みたいにきっと「超抽象的」に書いてくれたんだろうけど

正直ボクにはこの言葉に秘められた「本当の意味」までは理解出来なくて

でも、今日改めてこの文章を読んでみたら今のボクには少しだけ理解出来る様な気がしました

「難しく超抽象的」にばかり考えていたけど本当は実にシンプルだったんですね

「僕らのライブは時間の都合で中止になったらしい」って

つまりは「ハイコーフェスともっと遊びたかった」って

「もっと色々したかった」って、「残念です」って

「ゆーにゃんさん」が伝えたかったのは、きっと「それだけの事」なんじゃないかと

数々の「奇跡」が積み重なって今年も

それが「ハイコーフェスを続ける何か」になった訳ですが

その「引き金」を引いたのが「奇跡の引き金」を引いてくれたのが

やっぱり「この人」だった気がします

 

3月に入ってすぐの事でした

ボクがいつも通りにゴマシオでコーヒーと淹れていた時に

なんの前触れもなく1本の電話がありました

「進藤くん、元気にしとる?」って

「電話、今、少し話しても大丈夫かな?」って

「え、何ですか?」って思いました

ボクは別にプライベートで出演者の方と仲良くとかはあまりないので

どんなに好きでも「友達」なんて想った事は1度もないし

ハイコーフェスがなければほとんど連絡のやり取りもなくて

「ただのファン」でいる事が「お互いに健全な関係」と言うか

ずっと「尊敬」していたいから、その「一線」が自分の中では「大事な何か」だと思ってて

しかも電話の相手が「ゆーにゃんさん」だったから余計にビックリと言うか

「何事ですか?何かありました?」なんて思ったのもつかの間で

本当に「大した用事」でもなくて、ただちょっと電話をくれたみたいで

「今度ウチらもフェスをやろうと思ってて、ハイコーフェスってあの会場で何人くらい入れるの?」とか

「駐車場ってあのくらいの大きさで何台くらい停められた?」とか

「元気にしとるよ、今は岐阜の山奥に引っ越して、毎日風呂の薪割りしてる」とか本当にそれくらいの話をして

「じゃあ、またね」って、「また何か困った事があったら電話するからね」って

「また遊ぼうね、元気でね」って、本当にそれくらいの会話を交わしました

時間にしたら5分も話していない気もしますが、今想えばそれが「奇跡の始まり」だった気がします

まだボクも特には気づいていなかったけど

静かにハイコーフェスの「引き金」が引かれたのはきっとこの時だった気がします

 

ハイコーフェスを知っている人にしてみたら

「3月」って「そろそろの時期」で

ハイコーフェスに何度も出演している人なら尚更ですよね

きっと誰もが「そろそろだな」と思う時期で

「ハイコーフェスを続けるのか、本当に終わりにするのか」

ちゃんと決断しなきゃいけないのが「3月」だったから

きっとそれは「たかが1本の電話」だったのかも知れませんが

「小さな偶然」なだけでボクの「想い込み」だったのかも知れませんが

「そういうの」をいちいち「奇跡」だと想いたいのが

「1度は死んだはずのハイコーフェスの進藤くん」だったから

皆さんはまだ覚えてますか?ハイコーフェスの名言の1つです

「どうでもよくなってからがハイコーフェスです」って

3年前のハイコーフェスで「ゆーにゃんさん」が

何度も何度もステージの上で口にしてくれた名言があります

正確には「平井さん」の「PON」ってCDのジャケットに書かれていた

「どうでもよくなってからがロックンロールです」って言葉を

ボクが見事にパクっては

まるで自分で考えたみたいに乱用していたキャッチコピーで

でも「あの日」から「この台詞」は平井さんの言葉じゃなくて

もちろんボクの言葉でもなくて

「ゆーにゃんさんに教えてもらった名言」として自分の中の「想い出を編集」しています

「どうでもよくなってからがハイコーフェスです」

「どうでもよくなってからがハイコーフェスです」

「どうでもよくなってからがハイコーフェスです」

どうしてあの時「ゆーにゃんさん」が「この言葉」を叫んでくれたのか

どうしてあの場で「うっとおしいくらい」に何度も何度も叫んでくれたのか

今になって想い返してみれば「この日のため」に叫んでくれていたのかも知れませんね

未だ見ぬ「ハイコーフェスの終わり」のために

もうすでにあの時から何度も

ハイコーフェスを「終わらせない」ために叫んでくれていたのかも知れません

 

「どうでもよくなってからがハイコーフェスです」

考えれば考えるほど奥深い言葉ですよね

そもそも「どうでもよくなる」ってどんな感覚なんでしょう?

ボクは本当に「どうでもよく」なっていたのでしょうか?

「人の気持ちをこれ以上たくさん背負いたくなくて」

「ハイコーフェスなんか大嫌い」で

「それなら終わりにした方が良い」って

「ハイコーフェスなんか、どうでもよくなって」

それで本当にハイコーフェスを終わりにしたかったのでしょうか?

ただ「みんな」に迷惑を掛けるから

ただ「君」を泣かせちゃうから

ただ「色んな想い」に潰されそうになっちゃうから

ただ「ボクの想い」がうっとしいから

「どうでもよくなってからがハイコーフェス」のはずなのに

心の底から「どうでもよくなる」まで

ちゃんとそこまで「やり遂げられた」のでしょうか?

自分でもどうしたいのが分からないから

「考えたくないから終わりにしようとしてないかい?」

もしもこの世界に「神様」がいるのなら

きっと「神様」はそんな言葉をボクに投げかけたと思います

誰にも言えない本当の気持ち

「ただただ過ぎていく」そんな半年間だったけど

きっと「何度も繰り返して悩む程度の悩み」なんて

「神様」からして見れば本当は大した「悩み」では無いのでしょうね

何度悩んだところで決して何の解決にもならなくて

だからこその「どうでもよくなってからがハイコーフェスです」、なんですよね

もし仮に「ハイコーフェスを終わりにするために」ボクが必死で悩んでいた事を総称して

その気持ちを「どうでもよくなった事」と仮定すると

そういうのを全部乗り越えて「続ける」って選択をした「これからのハイコーフェス」が

つまりは「どうでもよくなってからのハイコーフェス」と言う事になる訳で

「どうでもよくなるところまで行きましょう」って

「愛とか自由とかロックンロールとか呼ばれる場所で会いましょう」って

「ゆーにゃんさん」がハイコーフェスの意気込みに書いてくれたとおりですよね

あの日電話で交わした短い会話の中にそんな言葉は1つもなかったけど

でも確かにボクは「背中を押された」気がして

「絶望から這い上がって来いよ!」なんて背中を強く突き飛ばす方のやり方じゃなく

「背中にやさしく手を当てる感じ」

つまりはそれが「手当て」なんでしょうね

「酷く傷ついて目を閉じたままだったボクと君のハイコーフェス」に

素知らぬ顔して「ゆーにゃんさん」なりのそれが「手当て」だったのかも知れません

「ゆーにゃんさん」っていつもそうなんです

興味ないような顔して、思い入れなんて無いような顔して

でも心細い時ほどボクは「ゆーにゃんさん」に「いて」欲しくて

きっとハイコーフェスの事もボクたちの事も全部丸ごと肯定してくれるからだと思います

「そのまんまで良いと思うよ」って、いつもそう歌ってくれるからだと思います

「一筋の光」なんて言うとカッコ良すぎるかも知れないけど

ようやく目を開けるとそこには確かに「一筋の光」が見えました

「日本一想い込みが激しい」って言うのが「ハイコーフェスの長所」だったから

「これはきっと何かだよなー」って、「導かれてるなー」ってそんな気にもなって

想えば想うほど「奇跡」が起こるのがハイコーフェスでしたよね

「それ」をずっと信じてきたのがハイコーフェスでしたよね

「ボクが思いつくだけの事が起こるだろう、君が信じられるだけ全部叶うだろう」でしたよね

それから間もなくして立て続けに

「大森靖子さんのマネージャーさん」からもメールを頂いて

ほとんど同じタイミングで今度は「平井さん」からもメールを頂いて

「奇跡の引き金」を引いたのは紛れもなく「ゆーにゃんさん」でした

多分「ゆーにゃんさん」がいなかったら「奇跡の連鎖」は起こらなくて

「導かれた」じゃないけど「不思議な力」が働いているそんな気がしたんです

 

「やっぱり、ゆーにゃんは神様だったんだなー」って

もしこの世界に何人かの「神様」がいるのなら

「ハイコーフェスの神様」は「ゆーにゃんさん」の事で

だって「プルタタ」って、どこからどう見ても「神々しい」し

とりわけ「ゆーにゃんさん」は「神々の長」ですからね

何かしらの「神様からのお導き」

「不思議な力」を操る事が出来たとしても可笑しくないですよね

そんな訳で「今年のハイコーフェス」には「神様のお導き」がありますからね

ボクも今日までどうにか「道を外さず」に進んで来られた気がしていて

なので、そんなに「音楽」に興味がなくても全然平気です

会場に「この人たち」が出て来た途端に「後光」が見えますので

きっと誰もがビックリもするし、釘付けにもなるし

何より「ありがたい気持ち」になれるので

ボクは「そんな不思議な力」を皆さんにも見せてあげたいんです

 

「ハイコーフェス、1回行った事があるからごめんなさい」って人も

「ハイコーフェス、1回行ったけどそんなに面白くなかった」って人も

まだボクに騙された事のない人は1度だけボクに騙されたと思って

すでに1回騙されたって人も、もう1回だけボクに騙されたと思って

「名前も聞いた事がないしわざわざ見なくていいよ」って人もいると思います

「jaajaの時に見た事あるからわざわざ見なくていいよ」って人もいると思います

でも、どんな「理由」があっても「わざわざ見なきゃいけない」のが「プルタタ」で

「わざわざ見なきゃ後悔する」のが「今のプルタタのライブ」なので

「プルタタ」が出演してくれる今年のハイコーフェスは

それだけで半分「奇跡」が完成しているようなものなんです

誰だって「必ず」です、この人たちが登場した瞬間に誰もが「幸せ」になるんです

仮に他の出演者に全然興味が持てずに

「その瞬間」だけがその日たった1度だけの幸せだったとしても

「それだけ」で何の悔いもないくらいに「別格」なんです、「見る価値」しかないんです

なので、まだ「プルタタ」のライブを見た事がなくて

「本当に世界で1番面白いのかなー」なんてハイコーフェスの事を信じきれなくて

「そんな理由」で「行こうか行かないか悩んでいる」くらいなら

どうぞ今すぐに前売りチケットの予約をしてくださいね

「世界が変わる」なんて書くと大袈裟に思われるかも知れませんが

「世界が変わる」ってきっとそんなに「たいそれた事」だけを指して言ってる訳じゃなくて

「見て良かった」って、「見れて幸せだ」って、それだけでもきっと「世界は変わる」はずで

「プルタタ」のライブを見た事で「変わる世界」が存在する事を

ボクが責任を持ってハイコーフェスで「証明」してあげたいんです

 

今回も前置きばかり長くなって

ちゃんと「プルタタ」の紹介をしなくちゃですね

 まだライブを1度しか見た事がないくせに今日も偉そうに書きますね

「ボクが大好きなプルタタについて」です

 

去年も「プルタタ」を見てくれた皆さんなら

「一生忘れる事の出来ない想い出」になっている事かと思いますが

「プルタタ」は男女5人組の「子連れ覆面楽団」です

海のものとも山のものとも分からない

ちょっと不気味な怖いお面がトレードマークで

ギターボーカルの「ゆーにゃんさん」に

チェロ弾きの「クミちゃん」

ハープとピアノの「マドカさん」に

手製のドラムの「トッキーさん」

「道化師」の「キノちゃん」って5歳くらいの男の子が縦横無尽に走り回る

「ちょっと可笑しな楽団」だけど「とても素敵な楽団」です

皆さんはイソップ童話の「ハーメルンの笛吹き男」って知ってますか?

「ブレーメンの音楽隊」は知ってますよね?

「プルタタ」はこの二つの童話を足してしまったような感じで突然会場に現れてきます

どちらの童話も「少しだけ不気味さ」が「怖さ」がありますよね、なんて言うか「灰色」って感じの

その感じもしっかり残しつつ、「プルタタ」が出てきただけで会場が一気にザワつきます

この「ザワつき」が「心がザワつく感じ」がハイコーフェスには「なくてはならない存在感」で

とにかく「プルタタ」が登場した時の「独特な始まる感」は

子供の頃に映画館で聞いていた上映を告げる合図

真っ暗になった館内に鳴り響く、あの「ビーーーー」って音と似ていて

「ワクワク」や「ドキドキ」を通り越して

「始まる、始まる」ってなんでか胸の奥が「ザワザワ」して

「ザワザワしている」のに「神聖な気持ち」にもなります

あの「ザワザワ」が「襟を正してくれる」そんな感じもあります

歌う歌と言えばこれが超が付くほど「抽象的」なので

歌詞の意味なんかとても凡人には思いつかないくらいに

本当にとてつもなく全部がひっくり返っちゃっていて

「おとぎ話」みたいで「ファンタジー」みたいな「不思議な不思議な夢の世界観」

きっと見る人1人、1人でその受け取り方は無限大なのが「プルタタの音楽」で

「感動の質」が他の出演者とは違う方向を見ている気がします

「世界観」って、ちょっと人と違ったりひねくれていたり、個性的な場合なんかによく使われますが

みんなの使ってる世界観なんか「プルタタ」を見たら1秒で綺麗にぶっとびます

「本物の世界観」って言うがあるとしたら「プルタタの世界観」がまさに「それ」で

「偽物」のどこにでもある「ぺらぺらの世界観」とは完全に一線を引いています

 

オペラみたいで、ミュージカルみたいで、歌舞伎みたいで、でも全然「音楽」で

モノクロで、砂埃っぽくて、カラカラに乾いてて、異国情緒たっぷりで

でもその街は誰も知らない街で、大人が1人もいない子どもだけの街で

動物の死骸を拾い歩き、名前のない星をずっと数えて暮らしているような

街全体がガチャガチャしているのに、でもいつも1人ぼっちみたいな

壮大な宇宙のどこか遠くから、じっと「ボクたちの事」を眺めているような

そんな「得体の知れない感じ」が「プルタタの音楽」で

ここだけ読んで「あー、プルタタの音楽ってそういう感じね」なんて分かった人がいたら天才です

自分で書いておきながら今年もちっとも上手に紹介が出来ないのは

この人たちはきっと常に「進化」をしているからで

前身バンドの「jaaja」から「プルタタ」に変わった時に

正直ボクは「jaajaを超える訳がない」と想っていたんです

「あんなに大好きだったjaajaを超える訳ない!」って

「あんなに大好きだったjaajaより愛せる訳ない!」って

去年のボクはそんな風にここで「プルタタ」の事を紹介しています

(誤解がない様に書くと、「でもやっぱり超えて見せてよ、愛させて見せてよ」と続けて書いてますが)

それがどうでしょう、初めて見た「プルタタ」の姿に

「ボクの想い出」はあっという間に塗り替えられてしまいそうで

なんとか必死に「jaajaの想い出」は守りきりましたが

ちょっとでも油断していたら完全に塗り替えられていた気がします

とにかく隙を見せたらそれまでの「想い出」を丸ごと全部

「プルタタ一色」に一瞬で塗り替えられてしまいそうで

本当に本当に「ヤバい」くらいに凄かったのが「プルタタの音楽」なんです

 

ボクは毎日バカみたいにハイコーフェスのフライヤーをゴマシオの店頭でお客さんに配っていて

興味がありそうな人にも、興味がなさそうな人にもお構いなしに

どんなに迷惑そうでも手当たり次第に強制的にフライヤーを手渡していて

「全然興味ないかも知れないけど、本当にヤバい人たちがライブしますので来てください!」って

「全然知らない人たちばかりかも知れないけど、出演者が本当にヤバいんで来てください!」って

出川哲郎さんばりに「ヤバいよ!ヤバいよ!」を連発してハイコーフェスの宣伝をしていますが

「プルタタは本当にヤバいんで見に来てくださいね!」って

「プルタタは本当に見た方が良いですよ!ヤバすぎて感動しちゃいますから!」って

ハイコーフェスには「サイコーの出演者」を揃えているつもりですから

誰が1番で、誰が2番とかは順番は付けられませんが

でも「ヤバさ」みたいなので言えば、「衝撃」みたいなので言えば

「プルタタ」を超えるほどの人はやっぱり見つけられなくて

「プルタタ」の「ヤバさ」を証明する3つのエピソードがあります

 

去年の「プルタタ」のステージが終わった直後に

「t.v. not january」の「横田川さん」がボクに近づいてきてこんな風に言ったんです

「進藤さん、プルタタ凄すぎてオレやる気なくなっちゃいました、

今日は何やっても絶対プルタタに勝てないから、

ブルーハーツの河ちゃんの気持ちで進藤さんのリクエストだけ歌いますね」って

これって本当に凄い事ですよね

次にステージに上がるはずの出演者が戦う前から「負け」を認めちゃったんです

ハイコーフェスは「勝ち負け」じゃないけど、でも「勝てない」って認めちゃったんです

「横田川さん」の言う「ブルーハーツの河ちゃんの気持ち」って言うのはイマイチ分からなかったけど

(河ちゃんがどれだけ名曲「真夜中のテレフォン」を歌っても、ヒロトとマーシーには勝てないって事なのかなー?)

素直に認めざる得ないくらいの「ヤバさ」が「プルタタ」にはあるんです

これが「エピソード1」ですね

 

続いてこんな事もありました

「プルタタ」が会場に登場して来た時に「KETTLES」のお二人が

「コイケさんとオカヤスさん」が凄くビックリして喜んでいたんです

きっと初めて見た「プルタタ」に「猛烈に感動」しちゃったんでしょうね

いつもキラキラしている眼をさらにキラキラさせて

なんか「ただのディズニーランドにいるカップル」みたいな感じに

お二人が「ただ、はしゃいでいた」のがなんだか凄く嬉しかったんです

出演者同士ってきっとボクらには分からない「何か」があるじゃないですか

仲が良いとか悪いとかじゃなくて

少なからずは誰だって「自分の方が良い」って思ってるに決まってるじゃないですか

でも「そんな事」すら忘れさせてくれるくらいの「何か」が「プルタタ」にはあるのかなーって

ボクも「バカのくせにバカみたいにプライドだけは高い」ので

少しぐらいそんな気持ちが分かるつもりで

心が思わず反応しちゃうくらいの「ヤバさ」が「プルタタ」にはあるんです

これが「エピソード2」でした

 

最後にこんな事もありました

「プルタタ」が会場に登場した瞬間ってみんな後ろを振り向くじゃないですか

「あッ!」みたいな、「出たッ!」みたいな

もちろんボクも後ろを振り向くんですが

体育館の一番前から見た景色が本当に本当に「ヤバかった」んです

みんな同じ方を向いて、みんな嬉しそうな顔をして

「待ってました!」みたいな、「コレ!コレ!」みたいな顔をしていて

拍手をしたり、カメラを構えたり、口をあんぐり開けたり、子供がお母さんにしがみ付いたり

ハイコーフェスって一日中、最初から最後までクライマックスで

「今日ここである事が世界で一番面白いと思ってきてくれて本当にありがとう」なんだけど

あの瞬間こそが「その密度」みたいなのが一番濃い瞬間に見えて

「プルタタがいてくれて良かったなー」って心からそう想ったんです

これが「エピソード3」です

 

こんな風に次から次に「エピソード」が出てきちゃうんだから

「プルタタのヤバさ」が分かってもらえますよね

今年は一体「エピソード何」まで記録を伸ばすのか本当に楽しみです

せっかく「エピソード」の話になったからメンバー全員の「エピソード」も書きますね

 

ギターボーカルの「ゆーにゃんさん」

この人のことはたくさん書いちゃったから、もはや説明不要ですよね

「ハイコーフェスになくてはならない存在」です

「加速する存在感」じゃないけど

本当に年々ハイコーフェスにとっての替えが効かない「何か」になってくれていて

ハイコーフェスを愛する皆さんにはお馴染みですよね

「平井さん」と「斎藤キャメルさん」に並ぶ「ハイコーフェスの御三家」の1人です

jaajaの活動休止を挟んでプルタタでの再登場となった去年は登場から本当に気合が入っていて

お面から覗き込む口元の呼吸音すら「楽器」の1つみたいで

「エピソード話」だからって無理して書いてる訳じゃなくて

その呼吸音がボクには「ダースベイダー」のソレに思えて仕方ありませんでした

「デーデーデーデーデーデーデーデーデー」ってあのテーマ曲が頭をよぎる位の「存在感」

「千両役者」じゃないけど、本当に「華」があるんです

「ゆーにゃんさん」も去年は余程に気合が入っていたのでしょうね

基本、椅子に座ったまま演奏するのに躍動感が桁違いな

まるで「地団駄」を踏むような足の動きはきっと皆さんも大好きだと思いますが

あの「地団駄」は本当に凄まじいですからね

大切にしていた「フランスで買ってきた魔法の笛」を自ら踏んづけてしまって「木っ端微塵」で

あの「木っ端微塵」は今まで見たどの「木っ端微塵」より綺麗の「木っ端微塵」で

あまりの事に思わずボクは声をあげて驚いてしまいました

「お面を外して、パッと見たら笛が割れてて、夢かと思った」って

「何度見ても笛が割れてたから夢じゃなかった」って

「あれ、フランスで買って結構高かったからなー」って後から聞けば本当にガッカリしていて

でもそんな「超人なのにちょっとドジ」なところも「ボクの大好きなゆーにゃんさん」で

そんなガッカリした気分の中でもステージの上ではそんな素振りも見せないで

ライブの最後の最後には「千両役者」が「見得を切る」みたいな「決めポーズ」まで見せてくれて

そもそも「ゆーにゃんさん」が見せたいのは「音楽」以前に「芸能」な気がして

そんな「ゆーにゃんさんんの芸」が本当に素晴らしくて

ボクのハイコーフェスの歴史の中でも「想い出のハイライトの1シーン」になりました

 

チェロ弾きの「クミちゃん」

「クミちゃん」の「チェロ」は「プルタタの音楽」の「影」みたいな音がします

「低く暗い音」なんだけど「壮大」で、「プルタタ特有の得体の知れない不気味さ」の肝です

「クミちゃん」の「存在感」も「ゆーにゃんさん」に負けてないですよね

ボクは「クミちゃん」の事を初めて会った時に

「オオカミみたいな人だなー」と思っていて

群れないし、なつかないし、いつも遠くを見ているみたいで

でもボクにはない絶対って「芯」を持ってる様に見えて

ボクの弱さやウソを全部見透かされているようで

「クミちゃん」にだけは「おべっか」を使えないから

そんな意味でも「ボクの大好きな先生」みたいな存在です

「クミちゃんの進化」、「プルタタのクミちゃん」が「jaajaのクミちゃん」と違っていた事は

去年のクミちゃんは「お面」を最後まで外しませんでした

ずっと「長い白い布のお面」を付けたまま、時折隙間から素顔を覗かせてくらいで

「プルタタ」の皆さんの中で「お面」を外すと言う事にどんな意味があるのか分からないけど

最後まで「クミちゃん」だけが「お面」を外さずで

それがまた「プルタタ」の持つ「得体の知れない謎」みたいなのを誘発させて

「やっぱりクミちゃんって芸術家だなー」って、1人で納得した記憶があります

ライブが終わってステージから降りてきた「クミちゃん」に

「超良かったです!」って、「本当にヤバかったです!」ってすぐに伝えたら

「心配しとった!」って、「プルタタが進藤くんに嫌われたらどうしようって思っとった!」って

今まで見たどのクミちゃんの笑顔よりも笑顔で嬉しそうに答えてくれて

それが本当に素晴らしくて、ボクのハイコーフェスの歴史の中でも「想い出のハイライトの1シーン」です

 

ハープとピアノの「マドカさん」

「マドカさん」の「ハープとピアノ」は「プルタタの音楽」の「光」みたいな音がします

「マドカさん」はメキメキと「存在感」を増しましたよね

「jaaja」の時には「隙間担当」なんて肩書きだった「マドカさん」が

「プルタタ」では完全に「ゆーにゃんさん」の脇を固める参謀的存在で

「マドカさん」の「ハープ」なんか、まるで「ビルマの竪琴」みたいだから

「ありがたさ」みたいな、「神々しさ」みたいなのがさらに際立って

おかげで「プルタタ」が「神様の集団」に見えるのかも知れません

ついつい「手を合わせて感謝」したくなってしまうんです

「マドカさん」って人は本当に「やさしくて良い人」です

一見、口数が多い訳ではないし、無愛想にも見えるけど、本当にやさしい人で良い人で

ハイコーフェスの教科書に「マドカさんのルマンド」って言葉が載ってあるくらいに想い出の人です

誰よりも「さよなら」に敏感だから「また会えばいい」って、「また遊べばいい」って

いつも別れ際の湿っぽい時間に泣きそうになってくれて

それがいつも「こころの忘れ物」になるんです

ボクたちは「たかが音楽」だけで繋がっている呆気ない関係なのかも知れないけど

「忘れ物」をいつも残してくれるから

ボクは今年も「マドカさん」にまた会いたくなったんだろうなーと想っています

 

手製のドラムの「トッキーさん」

「トッキーさん」の「ドラム」は「プルタタの音楽」の「地鳴り」みたいな音がします

平井さんから何度も「プルタタはトッキーのドラムが良いんだよ!」と聞いていて

「どのくらい良いんだろう?」なんて思っていましたが、これが本当に「超良かった」です

もはや「トッキーさんのドラム」無しでは物足りなく感じちゃうくらいで

ボクの知っている「jaaja」には無かった「厚み」みたいなのが本当に凄くて

とにかく「スケールが広がる」んです

高級感が増すじゃないけどバーーってスケールが大きくなって

例えるなら「世界」が「宇宙」に広がる感じです

「トッキーさん」は「jaaja時代」にハイコーフェスでお会いした事がなくて

去年初めて「プルタタのトッキーさん」としてお会いしましたが

正直ボクはビビっていたんです

なんてったっててボクのイメージの中では「坊主頭に刺青の人」でしたからね

「あー、イカついし、睨み効かされたら嫌だなー」なんて思いながらの初対面でしたが

よほどにオープニングの「森高千里」が気に入ってくれたらしく

「進藤くんが好きだなー、ボクは進藤くんのファンです」なんて何度も言ってもらえて

その一言で「ボク」と「トッキーさん」は「盃を交わした兄弟」みたいな関係です

 

「道化師」の「キノちゃん」

「キノちゃん」の「道化」は「プルタタの音楽」の「核」みたいなものです

「プルタタ」って「遊ぶ事」がテー マみたいな人たちで

「生という得体の知れない出来事を遊び続ける」のが「プルタタ」で

ステージに立つ「キノちゃん」を見ていると

「大人」がいかに「作り物」なのか気づかされてしまいます

本当の「遊び」がどんなモノなのか知っているのが他でもない「キノちゃん」だから

「キノちゃん」がステージに立つ事がある意味「プルタタの核」な気がします

なんてったって「ゆーにゃんさん」と「クミちゃん」の「DNA」ですからね

「子ども」だけど「計り知れない存在感」、「計り知れない潜在能力」ですからね

「可愛い!」なんて見てると頭から「ガブリ」を食べられちゃう可能性もありますから

どうぞくれぐれも「ご注意」して見てくださいね

 

なんだか「友達」を紹介するみたいに書いちゃって

「音楽の事」は全然紹介していませんが

「プルタタ」にとっての「音楽」は所詮「遊び」みたいなものですからね

あえて「こんな音楽ですよ!」みたいに詳しく紹介をしても伝えられなくて

「超抽象的」に書きますね

「グワァーーーーー」って感じで「なんじゃこりゃーーーーー」って感じで

かと思えば「全てを受け入れて、全てに身を任せて、全てに許される」みたいなね

「諦め」とは違う、でもなんでかいつももの寂しくて、それでいてやさしくて

数いる歴代のハイコーフェス出演者の中でも指折りの傾奇者で人気者

それが「ボクの大好きなプルタタ」です

「あの感じ」は直接見てもらわないと伝えられないので

何はともあれ、とにかくハイコーフェスで見てくださいね

 

「プルタタ」の話ばかり書いてきましたが

忘れちゃいけないのが今年も

「ボクが大好きなPLUTATA+ジャイアントステップスについて」ってところですよね

去年は初登場で皆さんビックリしましたよね

正式には「巨大傀儡」って言うらしいですが

プルタタのライブ中に突然「大きな操り人形」が登場するド派手な演出で

会場を「感動の坩堝」へ誘ったあの「ジャイアントステップス」で

「ジャイアントステップス」をまだ見た事がない人は

「どうせプルタタのおまけでしょ!」ってくらいに思っているかも知れませんが

「おまけ」どころか「ダブル主演」くらいの「パンチ力」で

ハイコーフェスの会場を今まで見た事のないような「異空間」に変えてくれて

ある意味「絶景」を見せてくれるのが「ジャイアントステップス」の皆さんなので

人間って本当に不思議ですよね、これだけ世界は進歩し続けてるのに

「大きい」ってだけで、「デカい」ってだけど、「それが動いてる」ってるってだけど

こんなにもシンプルに「感動」できちゃうんです

「海を見てキレイだな」って思うように

「星を見てキレイだな」って思うように

「デカい」のを見て感動しちゃってくださいね

本当に凄いですから自慢できるくらいに凄いですからね

 

「ジャイアントステップス」の「エピソード」

骸骨だったり、赤鬼だったり、とにかく大きくて、とにかく面白くて

ハイコー美術を担当している実行委員の石川飴子ちゃんって女の子が

「ジャイアントステップス」を見てボロボロ泣いていて

それが本当に大号泣ってくらいにボロボロ泣いていて

「飴ピー、どうしたの?感動した?」って聞いたら

「ジャイアントステップスの人たちの顔が凄く笑顔で、いいなーと思ったら涙が止まらなかった」って

感受性が豊かな人ほど、敏感で繊細な人ほど、真っ白で純粋な人ほど感じるものがあるんでしょうね

「ジャイアントステップス」を見て「感動」出来ない人は

それはきっと「あなたの心が荒んでしまった証拠」なので「抜け殻な証拠」なので

「たかが操り人形」に「たかが子供だまし」に見えたのなら

良い病院を紹介するので1度診察してもらった方が良いかもです

 

いつにも増して長くなりましたが

そんな「ダブル主演」の二組が「合体」して出演してくれるんだから

「プルタタ」と「ジャイアントステップス」の「どこまでも加速する存在感は無限大」ですね

「この人たち」だけが知っている「本当の意味」での

「どうでも良くなってからのハイコーフェス」がもうすぐ始まりますから

どんな事になるのか全く想像も出来ませんが

ただ1つだけ確かなのは「プルタタ」と「ジャイアントステップス」が登場した瞬間に

会場のボルテージが宇宙まで届くほどに上昇してしまうのが目に浮かぶので

それがどんなハイコーフェスなのか、皆さんも期待して楽しみにしてくださいね

 

「皆さん箍(たが)を外しましょう」

去年「ゆーにゃんさん」がステージの上で叫んでいましたが

「箍」で縛り付けられた「あなた」や「あなた」の「常識」を

全部この人たちがぶった切ってくれるので

どうぞ安心して「遊んで」行ってくださいね

「バカ」になって遊んでください

 

ハイコーフェスまで残り15日、「ボク」もそろそろ「箍」を外して良い頃ですね